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映画『大人は判ってくれない』あらすじと解説/映画史を刷新したフランソワ・トリュフォーの記念碑的作品

1959年に公開され、フランス・ヌーヴェルヴァーグの誕生を世界に決定づけたフランソワ・トリュフォー監督の長編デビュー作『大人は判ってくれない』

どこにでもいるいたずらっ子の少年アントワーヌが、権威を振りかざす大人たちの冷徹な眼差しさによって思わぬ運命をたどることになる本作は、今なお多くの映画ファンの心を捉えて離さない珠玉の名作だ。

 

本記事では、トリュフォー自身の自伝的背景や、先人たちへのオマージュ、避難所としての「映画館」が持つ意味、そして映画史に深く刻まれたあまりにも有名なラストシーンまで、本作の魅力と奥深さをじっくり語っていきたい(ラストに触れています。ご注意ください)。

 

目次

 

映画『大人は判ってくれない』作品基本情報

作品名 大人は判ってくれない
原題 Les 400 coups(英題:The 400 Blows)
製作年・製作国 1959年・フランス
監督 フランソワ・トリュフォー
音楽 ジャン・コンスタンタン
主なキャスト ジャン=ピエール・レオ(アントワーヌ)、パトリック・オーフェー(ルネ)

 

映画『大人は判ってくれない』あらすじ

(C)1959 LES FILMS DU CARROSSE/ SEDIF

12歳のアントワーヌは、パリのアパートで母と義理の父と共に暮らしている。しかし、学校では教師から理不尽に叱責され、家庭では母親から手のかかる存在として扱われるなど、どこにも自分の居場所を見出せずにいた。

 

息苦しい日常の中、親友のルネと過ごす時だけ安らぎを得ることができた。しかし、ある日、義父の職場からタイプライターを盗み出したことをきっかけに、大人たちから完全に見放され、少年鑑別所へと送られてしまう。

深い孤独と抑圧のなか、アントワーヌは鑑別所を抜けだし、まだ見ぬ「海」を目指して走り出すが……。

 

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映画『大人は判ってくれない』感想と評価

(C)1959 LES FILMS DU CARROSSE/ SEDIF

ヌーヴェルヴァーグの幕開けとエッフェル塔の眼差し

1959年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、フランス・ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の到来を世界に決定づけた記念碑的傑作、それがフランソワ・トリュフォーの長編デビュー作『大人は判ってくれない』だ。

 

原題の「Les 400 coups」はフランス語の慣用句「faire les quatre cents coups」に由来し、「無分別な生活を送る」「馬鹿騒ぎをする」といった意味を持つ。英語圏では直訳の『The 400 Blows』として知られるが、本作の登場はまさに古い映画作法と硬直化した制度に対する、若きトリュフォーからの痛烈な一撃であった。

 

映画は、エッフェル塔が見えるパリの風景から幕を開ける。ジャン・コンスタンタン(Jean Constantin)による軽快な音楽にあわせて、車の屋根あたり、あるいは軽トラックの荷台くらいの高さの位置にキャメラを置き、パリの街を移動撮影(トラベリング)していく。

アミラル・デスタン通りからイエナ広場、フェデラシオン通りなど、パリの様々な方角から建物の隙間や木々の間を縫うようにエッフェル塔を捉え続けるこの8つの連続したトラッキング・ショットにおいて、遠くに見えるエッフェル塔に注目しているといつの間にか、キャメラはエッフェル塔の直ぐ側に来ていて、さらに小さくなったエッフェル塔を背面に捉え続けることになる。

この冒頭のシークエンスは、孤独な少年の物語を冷静に俯瞰する「都市の眼差し」を予感させる。

 

教室という抑圧とジャン・ヴィゴへのオマージュ

授業中、悪童たちが女性が写ったプロマイドを密かに回して遊んでいる。たまたまそれがアントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)のところに回って来たとき、先生に運悪く見つかってしまい、叱られて立たされることに。休み時間になっても教室に残されたため、壁に不満の言葉を書き付けるとさらに激しく叱責される。

 

担任の先生はアントワーヌを目の敵にしているように見える。いつの時代にも悪童はいるし、やっていることは他愛ないいたずらのようなものなのに、大人たちは権威を振りかざして子供を型にはめようと、頭ごなしに叱責してばかりいる。

 

しかし、映画はアントワーヌが覚える憤懣を直接的な社会的告発としては描かず、子どもたちの日々の暮らしを実に活き活きと描き出していく。

その最たる例が、体育の時間のシークエンスだろう。授業で屋外に出た子どもたちが、引率の教師の後ろをジョギングしながら、次々に列を離れてパリの街中へ逃げていくさまを俯瞰で撮っている。思わず口元がほころんでしまう愉快なシーンだが、これは、教育制度のアナーキーな転覆を描いたジャン・ヴィゴの『新学期 操行ゼロ』(1933年)への明確なオマージュであり、トリュフォーがいかに先人たちの反骨精神を引き継いでいたかを示している証拠でもある。

 

トリュフォーの私小説的幼少期とアントワーヌの孤独

本作を深く理解する上で欠かせないのが、トリュフォー自身の自伝的背景だ。本作は、アレクサンドル・アストリュックが提唱した「カメラ・エ・スティロ(カメラ万年筆)」の概念を体現した作品であり、映画監督が小説家のように個人的な経験を映像言語によって記述した「一人称単数のシネマ」だ。

 

トリュフォーは1932年、未婚の母の元に生まれた。生後すぐに里子に出され、その後は母方の祖母に育てられた。祖母の死後、8歳になってようやく母親と義父の元に引き取られたが、家庭内に彼の居場所はなく、母親は彼を邪魔者扱いし、目立たず静かにしていることを強要した。

 

アントワーヌの両親も教師同様、アントワーヌを扱いづらい手のかかる子どもだと決めつけており、育児放棄(ネグレクト)的な面も見え隠れする。

 

遅刻した理由に「お母さんが死にました」と嘘をついたのがばれて、家に帰れなくなったアントワーヌは、友人のルネ(パトリック・オーフェー)の家に転がり込む。ルネと共にタバコを吸ったアントワーヌは、ルネの父親に匂いを気づかれないように、2人でシーツをばたばたさせるが、余計に煙たくなるシーンには思わず笑ってしまう。

この親友ルネのモデルとなったのは、トリュフォーの幼馴染であり、後に彼の映画制作を支えることになるロベール・ラシュネーである。また、劇中の嘘についても、トリュフォー自身が学校をサボった言い訳として「父がドイツ軍に逮捕された」と語った実体験が下敷きになっている。また、アントワーヌが義父のオフィスからタイプライターを盗み、鑑別所へ送られることになるのも実話である。

 

避難所としての映画館と、束の間の家族の幸福

家庭にも学校にも居場所のないアントワーヌにとって、唯一の避難所となるのが「映画館」だ。トリュフォー自身が「映画が私の命を救った」と語っているように、彼らは学校をサボっては映画館の暗闇に身を潜める。

ルネと映画を観たあとにロビーに貼られていたポスターを盗んでいくスリルな一瞬。このとき彼らが盗み出すのは、イングマール・ベルイマン監督の『不良少女モニカ』(1953年、主演:ハリエット・アンデルソン)のポスターだ。『不良少女モニカ』もまた、抑圧的な社会から逃走しようとする若者を描いた作品であり、ヌーヴェルヴァーグの作家たちが熱烈に支持した作品だ。

 

一方で、珍しく家族で映画を観た幸せな時とその笑顔も本作の重要なハイライトだ。アントワーヌが敬愛するバルザックの祭壇に火を灯し、ボヤ騒ぎを起こした直後、両親は怒るどころか逆に寛容になり、皆でモンマルトルの大通りにある映画館(ゴーモン・パレス)へと繰り出す。

この場面で家族が観ている映画は、しばしばジャック・リヴェットの『パリはわれらのもの』であると言及されるが、ロケ地の映画館の看板に実際に掲げられていたのはレオ・ジョアノン監督の『Tant d'amour perdu』(1958年)だった。

いずれにせよ、ここで重要なのは「映画を観るという行為」そのものが、崩壊しかけた家族の関係性を一時的にでも修復し、彼らを笑顔にしたという事実だ。映画空間だけが、現実の抑圧から解放される唯一のアジールとして機能しているのだ。

 

大人たちの冷徹な眼差し

しかし、タイプライターを盗んだことで家族からはもう育てられないと見捨てられ、アントワーヌは少年鑑別所に入れられてしまう。

 

窓ガラスに手をあててアントワーヌが何かを叫んでいる有名なショットは、鑑別所にルネが訪ねてきた場面に登場する(結局ルネは面会を許されず、代わりに父にひどい手紙を書いたことをなじる母とのなんとも気まずい面会しか実現しない)。

また、野口久光のポスターで有名な、アントワーヌがハイネックのセーターを口元まで伸ばしているバストショットは、鑑別所に収監される前の拘置所で過ごし、娼婦や泥棒たちと共に護送車に揺られる夜のシーンのそれだ。

 

先程、告発として描いてはいないと述べたが、それでもやはり本作に出てくる大人たちが、子どもに見せる眼差しの冷たさにはつくづく驚かされる。子どもたちに優しい目を向けるのは、リュクサンブール公園の人形劇に瞳を輝かせ、驚き、笑い、恐怖する子どもたちをモンタージュ的に捉えたカメラだけなのだ (すなわちトリュフォーの視点と言っていいだろう)。

 

結末:海への逃走と映画史に刻まれたフリーズフレーム

ラスト、少年鑑別所でサッカーの試合が行われている最中、アントワーヌはフェンスの隙間をくぐり抜け、脱走を図る。ここから、彼が田舎道から海岸へと向かって走り続ける姿を、キャメラはロング・トラッキング・ショットで追い続ける。ジャン・コンスタンタンの音楽は消え、ただ少年の走る足音だけがリズミカルに響き渡る。彼が向かう先は「海」だ。パリで育った彼にとって、海は一度も見たことのない未知の世界だった。波打ち際に辿り着き、もはやこれ以上先へは進めない限界点(陸地と水、過去と未来の境界)に行き着くアントワーヌ。

波打ち際を少しばかり歩いた後、鑑別所を脱走してきた少年は振り返りカメラをみつめる。オプティカル処理によるズームインの後、映像はストップモーションで静止し、映画は幕を閉じる。

そこで見せた彼の強い怒りと反抗心を感じさせる眼差し。無邪気な子供時代は終わってしまったのだ。

 

アントワーヌ・ドワネルの永遠性

一人の少年の孤独な戦いを通して、旧態依然とした社会制度や家族のあり方を静かに撃ち抜いた映画『大人は判ってくれない』。ジャン・コンスタンタンの音楽がもたらす悲喜劇の対位法、パリの路地裏や映画館の生々しい息遣い、そして即興演出によるドキュメンタリー的な真実味。これらすべての要素が結合し、ヌーヴェルヴァーグは華々しく幕を開けた。

 

トリュフォーはその後もジャン=ピエール・レオを起用し続け、『アントワーヌとコレット』(1962年)、『夜霧の恋人たち』(1968年)、『家庭』(1970年)、『逃げ去る恋』(1979年)と、実に20年にわたって同一の俳優で同一のキャラクターの成長を追うという、映画史上類を見ない連作(アントワーヌ・ドワネルの冒険)を生み出していくことになる。

その後の連作におけるアントワーヌは、何事にもひどく不器用で多分にコミカルな役割を果たしている。アントワーヌ少年のあまりにも孤独な姿を見ていた私たちにとって、その姿はどこかホットさせられるものがあるのである。

 

※本稿は下記の記事の一部として発表した文章に大幅な加筆修正を加え、独立した記事にしたものです。合わせてご覧ください)。

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