日本写真協会年度賞、日本雑誌写真記者協会賞、日本ジャーナリスト会議 (JCJ) 特別賞、市川市⺠文化賞/スウェーデン賞の他、ベトナム政府から文化通信事業功労賞も受賞した報道写真家の石川文洋。
戦場取材が許された最後の戦争であるベトナム戦争で活躍したロバート・キャパ、沢田教一、一ノ瀬泰造、嶋元啓三郎ら報道写真家が戦地で亡くなる中、存命している神話的人物である。
ベトナム戦争中、同時期にサイゴンで親交があった作家の開高健は文洋を「つねに右の目は熱く、左の目は冷静でありつづけるカメラ⻘年」と表現した。
文洋の著書「ベトナム 最前線」の序文に石原慎太郎は、「沖縄という、祖国の中でも唯一、特異な状況にある故郷を持った彼が、あの邪悪な戦争を見る眼は確かに我々内地人間とは違っているに違いない」と書いた。
ホーチミン市にある戦争証跡博物館の副館⻑のフィン・ゴック・ヴァンは、「単なる技術ではなく、心で撮っているから弱い者たちの本当の姿を表せるのだと思う」と絶賛した。
そんな文洋だが、沖縄戦の時に沖縄にいなかったため、沖縄戦を体験していないということがコンプレックスになっていた。
文洋は、4 歳で沖縄を離れたが、日本人である前に、沖縄人だと思っている。ベトナムやカンボジアで戦争や大虐殺の現場を見てきたからこそ、他の人と違った視点で伝える必要性を感じていた。文洋は、戦闘場面だけでなく、無名な人々の命を見つめた。
9 回死にそうになりながらも、命懸けで撮影してきた文洋の戦争の目撃者としての半生を、滝藤賢一によるモノローグで振り返る。
ベトナム戦争終結 51 周年の 4 月 30 日に、ドキュメンタリー『戦場のボヘミアン カメラマン 石川文洋』が2026年11 月 28 日(土)より新宿 Kʼs cinema ほかにて全国順次公開されることが発表された。
それに伴い、ポスタービジュアル及び河邑厚徳監督のコメントが届いた。

監督 河邑厚徳 コメント
ガザでもウクライナでもイランでも街の破壊や負傷者はニュースの断片で見られますが、戦争の正体は衛星画像や AI や権力者の X で作られたものです。
1964 年 8 月、石川文洋さんは、26 歳でベトナムの土を踏みました。ベトナム戦争は戦場取材が許された最後の戦争で、世界から報道写真家が集まりました。しかし、多くは戦場に消え、生き残った方も高齢になり世を去りました。文洋さんは現在も存命する神話的人物と言えます。
文洋さんは、報道写真の二つの目的として、「今起きていることを伝えること」「何十年後にも、後世の人への記録として残すこと」を挙げています。いつの時代も、最前線で写真を撮り続けた文洋さんのような存在を私たちはずっと必要不可欠としていると思い、この映画を作りました。
ベトナム戦争は1975年4月30日に南北が統一され、終結しました。50年後の2025年4月、文洋さんはベトナム政府から招待されてホーチミンを訪れました。ガンを発病していましたが、念願が叶った最後の旅になりました。目的は様々な式典に出席するだけではありませんでした。戦争で傷つき運命を狂わされた無名な人々のその後を追いたいと願っていました。シャッターを押した記憶は鮮明です。1966年に米軍の作戦に同行して恐怖に震える少女の瞳に目を奪われました。文洋さんはこの少女(ファン・チー・ソー)と、自分とは、国も年齢も違うが同じベトナム戦争の目撃者だと感じたのです。文洋さんは、50周年の祝祭でにぎわうホーチミンを抜け出して、カンボジア国境に近い農村に出かけました。私は、文洋さんとファン・チー・ソーさんの59年ぶりの再会を撮影しました。
文洋さんは、従軍しながら「自分とは何か」を問い続けた寡黙な文学青年でもありました。『戦場のボヘミアン』のタイトルは、そのような意味を込めて、戦場と夢見る若者が同居し一筋縄では捉えられない文洋さんの人生を、長時間のインタビューや多数の著書から引用したモノローグと膨大な記録写真で物語るドキュメンタリーとして構成しました。
『戦場のボヘミアン カメラマン 石川文洋』あらすじ
文洋が 3 歳になった 1941 年に太平洋戦争が始まり、一家は沖縄から本土へ移住。
1964 年、文洋は27 ドルのみ持って日本を出て、香港を経由し、ベトナムのサイゴンに到着した。
27 歳になる前日、文洋が撮った銃撃された米軍少佐のネガを AP 通信が買いあげ世界に配信。この瞬間に“国際報道カメラマン石川文洋”が誕生した。
1969 年に一時帰国すると、ベトナムでの米軍プレスカードが認められ、どのマスコミも取材ができなかった沖縄米軍基地の取材が許され、後方基地としてベトナム戦争に参加する沖縄の姿を浮き彫りにした。
1979 年のポルポト政権崩壊後、石川文洋は取材が許され、カンボジアの首都プノンペンに入り、最新のカンボジアの実情を一冊の本(「大虐殺」)にまとめた。「カンボジアで、同じ⺠族同士が殺すわけがない。虐殺はなかった」と批判に遭った文洋だが、「もし大虐殺がなかったことが明らかにされた場合、私は現場に行きながら事実を見誤った責任を取って今後、報道にたずさわる仕事をやめる覚悟です」とその内容に絶対の自信を見せた。
戦場では不死身だった文洋だが、68 歳の秋に心筋梗塞を起こし、心臓の筋肉が壊死して第一種身体障碍者となった。しかし、病気を抱えている人が希望をもってくれればと考え、3500 キロの日本縦断の旅を、約 10 カ月で完全踏破。辺野古での撮影は 10 年以上に及んでいる。
2025 年、ベトナム戦争終結 50 年にあたり、ベトナム政府から式典への招待が届き、ホーチミンを再訪。そこで文洋が会ったのは...
『戦場のボヘミアン カメラマン石川文洋』作品情報
2026 年/88 分/カラー/デジタル
監督・撮影:河邑厚徳
出演:石川文洋
モノローグ:滝藤賢一 ナレーション:山根基世 朗読:竹本英史 撮影:仲松昌次 編集:荊尾明子 音楽監督:尾上政幸 主題曲:川田俊介 プロデューサー:矢内真由美
制作:ルミエール・プラス合同会社 配給:渋谷プロダクション