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韓国映画『幸せな選択』(No other choice) 評価・ネタバレ/イ・ビョンホン主演 リストラされた男に「他の選択」はなかったのか?

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「仕方がなかった(No Other Choice)」。

劇中で主人公のマンスが呪文のように繰り返すこの言葉は、果たして真実なのか!?

『オールド・ボーイ』、『別れる決心』などの作品で知られる名匠パク・チャヌク監督が、イ・ビョンホンを主演に迎えて放つ本作は、失業した一人の男が「完璧な人生」を取り戻そうともがく姿を、残酷なまでのブラックユーモアとアイロニーで綴ったクライム作品だ。

 

原作は1997年に発表されたドナルド・E・ウェストレイクの犯罪小説『斧』。2005年にはコスタ=ガヴラスによって映画化されており、パク・チャヌクは、本作でコスタ=ガヴラスに献辞を捧げている。

 

本稿では、本作が突きつける「選択」という名の幻想と、現代社会の歪みについて、「盆栽」や「うなぎ」などのキーワードを紐解きながら深く考察していきたい。

 

目次

 

韓国映画『幸せな選択』作品基本情報

作品基本情報

作品名 幸せな選択(原題:어쩔수가없다 / 英題:No Other Choice)
監督 パク・チャヌク
原作 ドナルド・E・ウェストレイク
撮影 キム・ウヒョン
出演 イ・ビョンホン、ソン・イエジン、イ・ソンミン、ヨム・ヘラン、チャ・スンウォン、パク・ヒスン
上映時間 139分

 

韓国映画『幸せな選択』あらすじ

製紙会社で25年間働き続けて来た男、マンス。妻のミリと二人の子供、そしてペットと一緒に美しい郊外の家に住み、「すべてを手に入れた」と人生に満足していた彼は、会社から突然解雇通知を受ける。

 

打ちのめされたマンスは、3ヶ月以内に別の製紙会社の管理職の座に着こうと決心する。しかし、一年が経っても、希望する職にはつけず、一家は窮地に追い込まれる。

 

妻のミリは徹底的なコスト削減に踏み切り、息子のNetflixの契約も終了させる。「養うべき口が多すぎる」と言いながら、飼い犬さえ手放してしまう。娘のリワンが、嘆き悲しむが、預かってくれるのがミリの両親であることが不幸中の幸いだ。

 

ミリはさらに家も売りに出すというが、マンスにとってそれは耐え難いものだった。懸命に働き、やっとかつて両親のものだった家を取り戻したのだ。再び失うことなどありえない。マンスは、希望の職につくために思い切った行動をとらなければならないと決意する。

 

マンスは競争相手を根絶することを決意する。製紙工場の工場長を募集する偽の求人広告を専門誌に出し、応募して来た人々の履歴書を確認してライバルである人物を算定。彼の企みは、競争相手を排除するために殺害し、自分が選ばれるようにするというものだった・・・。

 

パク・チャヌク監督の前作についてはこちら
→『別れる決心』レビュー

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映画『幸せな選択』をキーワードで読み解く

盆栽 ── 制御と不自然さの美学

本作において、主人公マンスが丹精込めて手入れをする「盆栽」は、彼が執着する中流階級の生活とその脆さを象徴する極めて重要なモチーフといえる。

 

盆栽とは、本来自由にあるべき生命を針金で縛り、不要な枝を「剪定」することで、作り手の理想の形に歪める芸術だ。

 

劇中、針金で強く固定された盆栽の枝が、限界を超えて「パキリ」と折れるシーンは、マンスの精神が崩壊へと向かう予兆であり、彼が強引に維持しようとした「しあわせ」の限界を暗示している。

自然な成長を許さず、人為的な管理によってのみ成立する盆栽の姿は、後期資本主義という冷徹なシステムの中で、理想のステータスを維持しようともがく現代人の不自然で歪な生存戦略を皮肉たっぷりに描き出しているといえるだろう。

 

さらにこの技法が思わぬものに使われてあっと言わせるが、こうした恐ろしくも奇抜なものを生み出すのがパク・チャヌク映画の神髄であることを改めて実感させられる。

 

うなぎー韓国映画におけるうなぎ

このところ立て続けに韓国映画に鰻が出て来た。ホン・サンスの『小川のほとりで』とカン・ハヌル主演のクライム映画『YADANG ヤダン』、そして本作だ。

 

韓国ではうなぎを焼いて、はさみで一口大に切って食べるのが通例のようだ。『小川のほとりで』では、冒頭と終盤に二度、「鰻」店でキム・ミニをはじめとする登場人物たちが鰻を頬張っている。一度目は和やかに時間は過ぎるものの、二度目は目に見えない感情が渦巻く舞台となっており、観る者はちょっとした緊張感を覚えることになる。

『YADANヤダン』では麻薬を海外に密輸する胴元の女が、新興勢力に追い出され、落ちぶれて鰻を焼いているという状況で登場する。

本作に登場する鰻は、マンスが「勤労の慰労」として会社から贈与されたものだ。当初、マンスは自分の働きが評価されたものだと思っていたのだが、実は、これはクビにされる人への通達代わりに配られたものだったことが判明する。

 

この三作を観た限りでは「鰻」は貴重なご馳走をいただくという歓びよりは、やっかいな状況に登場するという役回りだ。とはいえ、決して「鰻」が縁起が悪いものとして扱われているわけではない。果たして韓国では鰻がどのような意味合いをもっているのかは、今後の作品との出会いで判断していきたい。

 

映画『幸せな選択』感想と評価

公式予告編はこちら

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「秋よ来い!」── 完璧な日常から地獄への転落

夏も終わりに近いある日、マンス(イ・ビョンホン)は花が咲き誇る自宅の庭で家族を抱きしめ幸せを実感する。25年間、製紙会社で懸命に働き、愛する家族に美しい郊外の家、二匹のゴールデンレトリバーと、全てを手に入れたと満足に浸りながら、「秋よ来い!」と叫ぶマンス。

しかし秋が来ると事態は一変。解雇されたマンスは製紙会社で希少な管理職のポストにこだわり、なかなか再就職することができない。

 

彼が選んだのは、競争相手を根絶すること。製紙工場の工場長を募集する偽の求人広告を制作し、応募して来た人の履歴書をもとに最大の競争相手が誰なのかを突き止める。そして、3人を殺害し、最終的に自分が最後の一人として採用されるだろうと企む。

 

現実を見据える妻ミリと、過去に固執する夫マンス

原題の「어쩔수가없다」は「仕方がない」という意味。また英語タイトルも「No Other Choice」であり、日本でのタイトルが「幸せな選択」と決まったと聞いた時は、この原題でのニュアンスが薄まってしまっているのではと思えたものだ。

せっぱつまり、他に選択肢がないゆえの凶行を描いた作品だろうと考えていたからだが、実際、映画を観てみると、果たして、本当に「仕方がなかったのか」という疑問が浮かんでくる。

 

ソン・イエジン扮する妻のミリは非常に現実的で、一年が過ぎても再就職ができない夫をみて、自身も働く先をみつけ、自分の両親に犬を預け、様々なものを切り詰めて生活レベルを落とす決断をする。

その決断の中には家を売りに出すという項目も入っている。彼女は中流階級のプチブルジョア的な生活に別れを告げる覚悟を持っている。夫を責めるだけの類型的なキャラクターではないのだ。

 

マンスには明らかに他の選択肢があった。家を売ることも、妻の再就職を支援することも、妻の両親に助けを請うことも、他の業種にチャレンジすることもできたが、彼は変化を嫌った。競争者を殺してでも以前の生活を取り戻すしかないという選択を取るのだ。

 

彼は「夫は、父親はこうでなければならない」という家父長的な価値観に縛られており、自身のアイデンティティを崩すことが出来ないのだ。

 

韓国社会の呪縛──「家」という名のアイデンティティ

とりわけ、彼にとって「家」は絶対に譲れない領域だ。「家へのこだわり」は原作にはないもので、ここには韓国社会における「家」の重要性に焦点が当てられている。

 

ここでイ・ビョンホンが出演した『コンクリート・ユートピア』が思い出される。パニックもの、ポストアポカリプスものとして知られているが、多分に社会派の側面を持った作品だった。

家族のための「家」を用意できず窮地に陥っていたイ・ビョンホン扮する男性が未曽有の大地震で唯一残ったマンションの代表に、住人でもないのに偶然選ばれる。突如「父」となった彼は人が変わったように嬉々として、マンション(家族)を守るためマンションの住民以外を徹底的に排除していく。

韓国社会における「家」とは「家族」そのものであり、社会的ステータスから自身のアイデンティティに至るまで、深く関わる事象なのだ。

 

ましてや、本作における「家」は、かつてのマンスの両親の家=彼が育った家という思い入れのあるものであり、それを苦労して買い取ったことが彼の人生の達成感に大きく寄与していたのはいうまでもない。

彼は過去に執着する男であり、その「家」を手放すなど絶対ありえない「選択」なのだ。

 

映画は、マンスが受ける面接(逆光で面接官の顔が見えないという絶妙なシチューエーションが用意されている)や、空虚な肯定の言葉を頭にたたきつけようとする滑稽なグループセラピー、そしてトイレまで押しかけ、土下座して幹部に再就職を頼むという屈辱的行為というエピソードを重ね、彼が人間性を奪われていく過程を着実に見せている。それでも突飛と言える彼の選択を、パク・チャヌクは、現代社会が抱える問題と巧みに交錯させながら、ブラックコメディーな寓話に仕上げている。

 

鏡合わせのライバルたち:狂気へ至る「再就職」への執念

ここからネタバレを含みます

マンスはライバルである製紙事業者を殺すために、彼らに近づくが、そこで彼はその男性たちの姿に自分自身の姿を見ることになる。

 

一人目の男は、マンスと同様、製紙業にこだわり、再就職に失敗し続け、アルコール依存症なったク・ボムモ(イ・ソンミン)だ。映画の中盤ではマンスも過酷な労働環境からアルコールに依存するようになった過去があったことが明かされる。

 

ボムモの妻イ・アラ(ヨム・ヘラン)が、夫に対して「失業したことが問題なのではなく失業に対するあなたの態度が問題だ!」と叫ぶシーンがあるが、マンスにとっても耳が痛い台詞だ。マンスは思わずボムモに同情してしまい、アラが浮気をしていると知り、あらぬことかミリがパート先の歯医者と浮気していると疑い始めたりもする。

 

もう一人の男、チャ・スンゥオン扮するコ・シジョは、慣れない靴屋の店員をしている。客に横柄な態度を取られても、頭を下げるしかない彼の姿は、一番目の男と同様、マンスの未来の姿でもある。彼はそんな未来を打ち消すかのように、彼らを排除するのだ。

 

そして最後はパク・ヒスン扮する製紙工場の工場長、チェ・ソンチョルに近づくのだが、ソンチョルもまた、郊外の大きな家を所持することにこだわったため、都会生活を好む妻に出ていかれ孤独な人生を送っていた。

この男もマンスの分身的な要素を持っているわけだが、マンスは、殺さなくてもいいが、これまでの二人の死が無駄になるからという理由で彼を殺害してしまう。

 

マンスは、こうした行為の最中、何度も「仕方がない」と言う言葉を繰り返している。それは一種の呪文のようにも聞こえるのだが、もとはといえば、この台詞は、マンスが務めていた製紙会社を買収したアメリカ企業の社員であるアメリカ人がマンスに放った言葉だというのがなんとも皮肉だ。

 

イ・ビョンホンが魅せる「不器用な男」の真骨頂

マンスはただの一般市民なので、銃の扱いも当然のごとく不慣れだ。兵役があるので撃ち方はわかるとしても日常的な殺しとなるとまったく別問題だ。

 

ボムモの部屋に侵入し、彼がレコードコレクターであること(紙とレコードを愛する彼は「アナログ」人間ということか!?)をあらかじめ調べていたマンスは、音楽の音を最大限にして銃の発射音を消そうとする。ところが、ボムモがなにやら話だし、猛烈な爆音の中で二人が叫びあっているというなんとも奇妙な可笑しみに満ちたシーンが展開する。さらにそこに出かけたはずのアラが帰って来て、三人が一丁の拳銃を奪い合うスラップスティックなバトルへと発展する。

 

特筆すべきなのはイ・ビョンホンのコメディ的センスが遺憾なく発揮されていることだ。スマートな二枚目というイメージが強いビョンホンだが、彼はただボーっと突っ立っているだけでも絵になり味がある俳優であり、また、不器用さを演じさせればピカ一の実力を発揮する役者でもある。

 

例えば前述した『コンクリート・ユートピア』ではマンションの住人相手にメガホンで演説する際、メガホンをうまく扱えないダメっぷりを発揮していたし、『イカゲーム』のシーズン2ではフロントマンの彼が「001」として一般参加者に成り済ましてゲームに参加しているのだが、チームを組んだ団体戦で、ゲームがうまくこなせずムキになるという愉快な場面があった。

本作ではそんな彼のコミカルな持ち味が存分に生かされており、『ワン・バトル・アフター・アナザー』で最高のコメディ演技を披露したレオナルド・ディカプリオと重なる部分がある。

 

俯瞰される狂気:キム・ウヒョンが捉えた「不条理な空間」

パク・チャヌクは、BBC制作のミニシリーズ『リトル・ドラマー・ガール 愛を演じるスパイ』で撮影監督を務めたキム・ウヒョンと再タッグを組み、狭い部屋の空間における一連の滑稽な騒動を明快にとらえている。

大変愉快な場面だが、社会システムの不条理さに放り込まれた彼らの姿に説得力があるため、笑いの裏に潜む悲痛さが徐々に心に染みて来る場面でもある。

 

キム・ウヒョンの撮影はアイデアに富み、グラスの底にカメラが固定されたものなどユニークなショットが度々登場する。とりわけ、印象的なのはクレーンを使った一連の撮影だろう。冒頭、人生の歓びを謳歌しているイ・ビョンホンが娘を呼びに行くとき、カメラは、庭から屋上へとパンして行き、観客だけが俯瞰で全てを見通せるように画面を構成している。

 

また、アラがボムモを殺し、愛人と一緒に自宅の庭に遺体を埋めたあと、二階の部屋でいちゃつき始める姿を画面左手上部に捉え、庭に駆け寄り、捨てられた銃を回収するイ・ビョンホンの姿を右手の下部に捉えているワイドショットも同様だ。

 

パク・チャヌクは、あえて、全体像を観客だけに見えるように設定することで、作品を俯瞰してみるように仕向けている。観客はマンスに感情移入しつつ見守るが、筆者が「本当に他の選択肢はなかったのか」と問うたように、彼の行動自体を俯瞰で観察し、是非を問うような視点を促しているのだ。

 

執念の果てに待つ「空虚な勝利」

ようやくの思いで席を取り戻したマンスを待っていたのは、あまりにも残酷で皮肉なものだった。工場内には労働者の姿は最早なく、すべてがオートメーション化されていたのだ。

25年間培ってきた彼の経験や、血を流してまで守ろうとした「製紙職人」としての自負は、最新のシステムの前では何の意味もなさない。

 

これは、AIが労働力に取って代わり、人間の居場所が急速に縮小していく現代社会の縮図に他ならない。本作は単なる韓国一国の物語ではなく、後期資本主義が加速させる不条理な格差と、世界中の労働者が直面している過酷な生存競争を鋭く風刺しているのだ。

 

そこには、スラップスティックな暴力と息の詰まるような官僚主義、そして逃げ場のない実存的な絶望が混ざり合い、世界はもはや悪夢と現実の区別がつかない混沌としたものに成り下がっている。

 

妻ミリの静かな拒絶と、失われた「選択」

一方で、夫の異変を察しながらも、現実を冷徹に見つめる妻・ミリの存在がマンスとは実に対照的だ。彼女は「そんなに頑張らなくていいのに」と呟き、すでに中流階級の幻想(プチブルジョア的な生活)への執着を捨て去っている。

夫がかつての栄光の象徴として強いる「テニス」をきっぱりと拒絶し、堅実な貯金に意識を向ける彼女の姿は、過去に縛られ破滅へ向かうマンスとの決定的な違いを表している。

 

結び:システムという名の檻

結局のところ、マンスが繰り返した「仕方がない」という言葉は、彼を突き動かした動機であると同時に、彼を閉じ込めた檻の正体でもあった。

 

私たちが自らの意志で選んでいると信じている道さえも、実は抗いようのない大きな構造の一部に組み込まれている。そんな、個人ではどうすることもできない圧倒的な無力感と、救いのない苦い真実が、このブラックコメディの幕切れとして静かに、しかし重く横たわっているのである。

 

この記事を読んだ人におすすめの韓国映画3選

『幸せな選択』の持つヒリヒリとした社会風刺や、追い詰められた人間の滑稽さに惹かれた方へ、併せて観てほしい3作品を厳選。

 

1.『コンクリート・ユートピア』

「家」が生存とアイデンティティのすべてになる時

本レビューでも触れた通り、イ・ビョンホンが「家(マンション)」を守るために狂気へ足を踏み入れる男を熱演している 。本作と地続きのような「住居への執着」と、コミュニティが排他的になっていく過程を描いた、社会派パニック映画の秀作。

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2.『パラサイト 半地下の家族』

格差社会の不条理を笑い飛ばし、絶望する

「階段の下」と「階段の上」という圧倒的な格差、そして「計画(選択)」が思い通りにいかない不条理さは、本作のマンスが直面する絶望と強く共鳴する。韓国映画が得意とする、笑いと悲劇が表裏一体となった展開が見事。

 

3.『親切なクムジャさん』

パク・チャヌク監督が描く、美しき「復讐」と「救済」

本作でパク・チャヌク監督の演出に魅了されたなら、初期の「復讐三部作」の一作である本作は必見。緻密な構図や色彩、そして「選択の余地のない状況」に置かれた人間が、自らの尊厳をどう取り戻そうとするのか。監督特有の美学が凝縮されている。

 

原作紹介:ドナルド・E・ウエストレイク「斧」

リチャード・スターク名義の「悪党パーカー」シリーズでも知られるドナルド・E・ウェストレイクが1997年に発表した作品。

 

物語の主人公は、製紙業界で長年働いてきた中間管理職の男。企業の合理化(ダウンサイジング)によって突然解雇された彼は再就職先が見つからない焦燥感の中、恐るべき解決策を思いつく。それは、自分のライバルとなる、同じ特殊技能を持った求職者たちを物理的に抹殺することだった。

 

パク・チャヌクの『幸せな選択』では韓国社会特有の「家への執着」が独自の要素として強調されているが 、原作はより純粋に、資本主義社会における「代替可能な部品」としての労働者の悲哀と、社会階級の転落への恐怖を冷徹に切り取っている。読者はいつしか、この「殺人鬼」の論理に奇妙な説得力を感じていくこととなる。

 

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