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映画『嵐が丘』(2026)あらすじとレビュー:エメラルド・フェネルが解体する古典の深淵。官能と執着が渦巻く破滅の物語

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誰もが知るエミリー・ブロンテの古典が、これほどまでに生々しく、不穏な熱を帯びて蘇るとは誰が想像しただろうか。

エメラルド・フェネル監督による映画『嵐が丘』は、原作の型にとらわれず、まるでグラインドハウス・ホラーとロマンティック・ドラマが融合したような独自の世界が展開する。

私たちが抱いていた「文芸名作」のイメージを、処刑場の断末魔とともに鮮烈に覆してみせるのだ。

 

マーゴット・ロビーがキャサリン役、フェネル監督の2023年の作品『Saltburn』や、『フランケンシュタイン』のジェイコブ・エロルディがヒースクリフ役を務め、『ザ・ホエール』のホン・チャウ、『きっと、それは愛じゃない』のシャザト・ラティフが共演。

また、ヒースクリフの少年時代をNetflixドラマ『アドレセンス』のオーウェン・クーパーが演じている。

この完璧なキャスティングで面白くならないわけがない!

 

本稿では原作の大胆な改稿、独創的で奇怪でもある視覚美、そして家政婦ネリーの複雑な背景など、作品の核心に迫ると共に、エメラルド・フェネル監督作品における音楽にも注目したい。

┃エメラルド・フェネル監督の前作についてはこちら
→『Saltburn』レビュー

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目次

 

映画『嵐が丘』作品基本情報

項目 内容
監督・脚本 エメラルド・フェネル
原作 エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
出演 マーゴット・ロビー、ジェイコブ・エロルディ、シャザド・ラティフ、アリソン・オリバー 、ホン・チャウ他
撮影 ライナス・サンドグレン
美術デザイン スージー・デイヴィス
衣装 ジャクリーン・デュラン
セット装飾 シャーロット・ディリクス
主題歌 チャーリー・XCX

 

映画『嵐が丘』あらすじ

キャシーは母親を亡くし、酒飲みでギャンブル依存症の父親、アーンショウと共にイギリス北部ヨークシャーの荒涼とした高台「嵐が丘」にたたずむ屋敷で暮らしていた。ある夜、父親は衝動的に、読み書きのできない少年(オーウェン・クーパー)を家に連れて帰ってくる。

 

メイドや料理人たちは、家計が苦しい中、養うべき口が一つ増えたことに苛立ちをかくせないでいたが、キャシーは友だちができたと大喜び。彼女は彼を亡くなった兄にちなんで「ヒースクリフ」と名付けた。

 

二人は常に一緒に荒野を駆け回り、岩場で遊び、友情を育んでいたが、ある日、キャシーの我儘のせいで、帰りが遅くなってしまう。父親は自分の誕生日に遅れて来たことに激怒。ヒースクリフはキャシーを守るため、彼女を部屋から追い出し、自身だけが父親の罰を受ける。

 

二人は美しい若者へと成長し、固い絆は徐々に性的かつロマンチックな情熱へと変わっていく。そんな時、商売で財をなした裕福なリントン氏(シャザド・ラティフ)が隣に引っ越してくる。キャシーは、隣人が挨拶に来るだろうと待ちわびるが、隣人は一向に現れない。

 

焦れたキャシーは隣人邸まで歩いていき、のぞき見しているところを見つかって驚き足を挫いてしまう。

 

丁寧な看護と歓待を受け、キャシーが戻って来たのは、何週間も経ってからだった。その間、ヒースクリフはキャシーを迎えに行こうとしたが、アーンショウ氏はキャシーがリントン氏と結婚出来れば、と考え、お前のようなものが迎えに行ったら台無しだと彼をののしる。

 

父親のギャンブル依存は益々ひどくなり家計は苦しくなっていた。ヒースクリフを愛しているが、彼との将来はないと悟ったキャシーは、リントン氏のプロポーズを受ける決心をする。

 

ヒースクリフはキャシーの言葉を立ち聞きし、激しく傷つき、馬に乗って荒野を去ってしまう。キャシーは結婚承諾後、すぐにやはりヒースクリフを愛していると考えなおし、結婚を断ろうとするが、彼の姿はもうどこにもなかった。

 

5年後、ヒースクリフは裕福な男になって戻ってくる。キャシーはリントンとの子を宿していたが、ヒースクリフへの愛は一層高まっていた・・・。

 

公式予告編

youtu.be

 

映画『嵐が丘』感想と評価

古典の解体と「感覚記憶」による再構築:14歳の衝撃を映像化する

冒頭、聞こえて来る人間の喘ぎ声は「性的」なものを想像させるが、すぐにそれは処刑場で死にきれない罪人の断末魔の声だと判明する。性と死を混同させるこの冒頭は、エメラルド・フェネル監督による本作の全体像を示しているといえるだろう。

固唾をのんで処刑を見守っていた人々は、死の中に性的なものを見て、興奮し、歓喜の声をあげる。その中には、幼い頃のキャシーと家政婦のネリーがおり、カメラは彼女たちの顔のアップを繰り返し、表情が恐れから歓喜に変わる様子を捉えている 。

 

エメラルド・フェネルは、エミリー・ブロンテによる19世紀の傑作小説を大胆に改稿している。それはフェネル監督が多感な時期に原作を読んだ際に刻まれた、極めてパーソナルな解釈に基づいている。本作では原作の中盤以降の展開や複雑な相関図をあえて削ぎ落とし、物語の心臓部にあたるキャシー(マーゴット・ロビー)とヒースクリフ(ジェイコブ・エロルディ)の、激しくも歪んだ愛の軌跡にすべての照準を合わせている。

 

本作が描き出す愛は、伝統的な文芸映画に見られるような端正なものではなく、グラインドハウス映画的な生々しさと、ラブロマンスが混ざり合ったような、独特の熱気を帯びている。愛と憎悪、そして執着が入り混じり、そこに濃厚なエロスが注ぎ込まれるのだ。

 

現実主義のキャシーと、拒絶に壊れたヒースクリフ:歪んだ純愛の二層構造

キャラクターの造形においても、フェネル監督は独自の視点を持ち込んでいる。マーゴット・ロビーが演じるキャシーは、自らの階級的限界や、ヒースクリフと結ばれた場合の人生の立ち行かなさを冷静に理解した上で、生存のためにエドガー・リントンとの結婚を選ぶ現実主義者として描かれている(すぐに思い直してその決断を翻そうとするが時、既に遅し)。

一方、ジェイコブ・エロルディのヒースクリフは、拒絶の瞬間の傷つき方も、屈辱による身体的リアクションも原作以上に丁寧に映像化されており、復讐に燃える怪物ではなく、痛ましくも魅力的なアンチヒーローへと昇華されている 。キャシーは現実を知りすぎており、ヒースクリフは拒絶によって壊れてしまっているのだ。

その一方、本作は、「二人の感情そのものは極めて絶対的」という二層構造になっていて、彼らが互いに向ける感情はほとんど純愛といえる。この矛盾こそが、フェネル版『嵐が丘』の核心といえるだろう。

 

「悪役」としてのネリー:階級社会を生き抜くための冷徹な保身

本作で最も興味深い変貌を遂げているのは、家政婦のネリーだ。原作では物語の語り手として中立的な立場を装う彼女だが、本作ではより能動的で、時には悪役ともとれるような振る舞いを見せている。

ネリーというキャラクターは一般的には「家政婦」として知られているが、ここでは、キャシーの友人兼(家庭教師的)世話係として、他の家政婦よりは一つ階級の高い地位にあるように見える。だが、使用人であることに変わりはなく、彼女の行動の多くが、「不安定な身分ゆえの保身」に寄与している。

ヒースクリフが扉の向こうで会話を聞いていると知って、キャシーを誘導するのは、その直前にキャシーから投げつけられた言葉にカッとしたことが直接の原因だが、自身も生き延びるために、キャシーをエドガーと結婚させる必要があったのだ。

彼女は劇中、二度、「クビ」を言い渡されているが、料理や掃除に長けているわけでもないアジア系(原作では白人のヨークシャー人)の女性が職を失ったらどうなるのか、その絶望感は、他のメイドがクビになる以上のものと想像できる。

過酷な社会構造の中で生き延びなければならない階級的弱者の切実な背景がひしひしと伝わって来るのも、本作のみどころのひとつだろう。

 

ヨークシャーの荒野を「聖域」に変える視覚美:キッチュなファンタジーとエロスの融合

視覚的な演出についても、本作は独特の美学に溢れている。ライナス・サンドグレンによる撮影は、ヨークシャーの荒野を、ただの厳しい自然としてではなく、登場人物の激しい内面を鏡のように映し出す広大で重苦しい空間としてとらえている。

本作が提示するヨークシャーの荒野は、ただ雨風が吹き荒れる場所ではない。それは、文明の皮を剥がされた人間たちが、本能のままに愛し合い、傷つけ合うための聖域なのだ 。その極端な世界観を受け入れることができたなら、この映画が放つ、酔わせるような絶望と憧憬の虜になることは間違いない 。

 

一方、リントン家の豪奢な設えは、ブロンテの重厚な世界観に現代的な「キッチュ」な要素を持ち込んだかのような、不思議なファンタジー性を生み出している。

また、セットデザインにおける衝撃的な仕掛けも見逃せない。マーゴット・ロビーの肌や血管の質感を精密にスキャンして作られたという「スキン・ルーム」の壁紙は、見事な解釈と言わざるを得ない。また、キャシーが病に倒れた際に壁に浮かび上がる黒いシミはどのホラー映画よりも恐ろしい光景と言えるのではないか。こうしたユニークで大胆なデザインは『Saltburn』でもフェネル監督と組んだ美術監督スージー・ディヴィスによるものだ。

過剰なまでの装飾や激しい演出は、一歩間違えば物語を損なってしまう恐れがあるが、フェネル監督はそれらを大胆に駆使して、欲望が毒へと変わり、過去のトラウマが運命という名で繰り返される様を、圧倒的な熱量で描ききっている。

 

「キスして、二人とも地獄に落ちてしまおう」という言葉に象徴されるように、キャシーとヒースクリフは、互いを完成させる存在ではなく、共に破滅へと突き進むことでしか結ばれない、絶望的な宿命を背負っている。

 

ラスト、幼いヒースクリフ(Netflixドラマ『アドレセンス』のオーウェン・クーパー)が「死ぬまで、君を愛し続ける」と語る場面がフラッシュバックとして挿入される 。この無垢な情熱が、やがて「地獄」を望むほどの執着へと変貌していく様こそ、フェネルが描き出した人間の魂の深淵に他ならない。

 

本作の音楽的背景について

フェネル監督の音楽へのこだわりはよく知られている。フェネル作品にとって音楽は視覚的な演出と同等、あるいはそれ以上の重要性を持っていると言っても過言ではない。

 

『プロミシング・ヤング・ウーマン』では、ブリトニー・スピアーズの2003年のヒット曲「Toxic」の弦楽アレンジバージョンが、主人公キャシーが復讐の最終段階へと足を踏み入れるクライマックスで使用され、強烈な印象を残した。

また、2023年の『Saltburn』では、映画のラストに流れるソフィー・エリス=ベクスターの2001年の楽曲「Murder on the Dancefloor」が、イギリスをはじめ各国でTikTokを中心に話題となり爆発的なリバイバルヒットを生み出した。

そして今回の『嵐が丘』では、現代ポップ界のアイコンであるチャーリーXCX(Charli xcx)が、映画のために全曲書き下ろしのコンパニオン・サウンドトラック・アルバム『Wuthering Heights』を制作したことで、公開前から大きな期待が高まっていた。

 

今回のコラボレーションにおいて、チャーリーXCXが掲げたテーマは「エレガントかつブルータル(優雅で残酷)」というものだ。これは、19世紀のヨークシャーの荒野が持つ、凍てつくような冷たさと泥、そしてそこに渦巻く激情を、現代的な音像で表現する試みである。

アルバムでは、鋭いインダストリアルなノイズと不協和音のストリングスが交錯し、観客の心拍数を直接揺さぶるような仕掛けが施されている。

かつて「ハイパーポップ」で世界を席巻した彼女のサウンドは、本作において「ブラット・ゴシック(Brat Gothic)」とも呼ぶべき新境地へと昇華されたと高く評価されている。

また、彼女のサウンドは、キャシーとヒースクリフの破滅的な絆を、過去の物語としてではなく、今この瞬間を生きる私たちの感情の物語として描く役割も見事に果たしているのだ

 

映画本編のビジュアルが放つ「キッチュな美学」と、チャーリーXCXによる「中毒性の高いビート」の衝突は、長年愛される物語に、激しく、生々しい新しい拍動を吹き込んだ 。

エメラルド・フェネルという監督は、今回もまた音楽という「武器」を駆使して、私たちの耳を、そして価値観を心地よく裏切り、忘れられない映画体験を構築することに成功したのだ。

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