アメリカのある小さな町。取り壊しを控えた野球場で繰り広げられる最後の試合が深く静かな余韻を残す。
マサチューセッツ州の小さな町で取り壊しを控えた野球場を舞台に、最後の試合を行う人たちを描く映画『さよならはスローボールで』。
熱血でも感動的でもない、ただゆっくりと時間が流れていくこの映画は、人生そのものを映すように淡く、そして小さな痛みを感じさせる。
過ぎ去る季節、失われる場所、終わりを受け入れたくない人々――その“スローボール”のようなゆったりとしたテンポに、私たちは時間と記憶の重みを見出すだろう。
監督が仕掛けた緻密な観察と詩的なユーモアが交錯する、極めて稀有な“終わりの映画”である。
監督のカーソン・ランドは『ハム・オン・ライ』(2019)や『クリスマス・イブ・イン・ミラーズ・ポイント』(2024)のタイラー・タオルミーナ監督等が所属する、ユニークなインディペンデント映画製作で知られるオムネス・フィルムズの創設者のひとり。
『さよならはスローボールで』は『クリスマス・イブ・イン・ミラーズ・ポイント』と共に、2024年のカンヌ国際映画祭の監督週間部門に選出され、大きな話題を呼んだ。
目次
映画『さよならはスローボールで』あらすじ

マサチューセッツ州ダグラスの野球場「ソルジャーズ・フィールド」は、郡の議会がこの地に学校を建設することを決定したため、近々取り壊されることになっている。
10月に入ったばかりの日曜日、最後の試合が行われようとしていた。対戦するのは地元チームの「リバードッグス」と、スポンサー企業の名を冠した「アドラーズ・ペイント」だ。
ベテランから若手まで年齢も立場も異なるプレイヤーたちは、冗談を交わし、ビールを飲みながら、ゆるやかに試合を続ける。
夕暮れが近づき、審判が去っても、誰もフィールドを離れようとしない。
それは、過ぎゆく日々と仲間たちに別れを告げるための、最後のプレーだった――。
映画『さよならはスローボールで』感想と評価

マサチューセッツ州ダグラスの取り壊しが予定されている野球場ソルジャーズ・フィールドで、最後の試合が行われる。一方のチームはリバードッグス、もう一方はスポンサーであるアドラーズ・ペイントの名がついたチームで、2チームとも選手たちの年齢もバラバラのアマチュアチームだ。
ダグラスは人口約 9,000 人の実在の町で、本作の舞台は1990年代のある秋の日と思われる。冒頭、ラジオから野球場が取り壊されることが決定したというニュースが流れている(アナウンサーの声を担当しているのはドキュメンタリーの神様、フレデリック・ワイズマン)。地元住民の念願だった学校が建設されることになったらしい。これがマンションやショッピングモールなどの商業施設なら、プレイヤーたちは大いに憤慨しただろうが、学校となると大きな声で文句は言えない。「リバードッグス」のリーダーのグラハムが工事に関係していることで、チクチクと批判を浴びているが、それとて、本気の非難ではない。
選手たちはプレーをしながら、ダッグアウトでは缶ビールを飲み、煙草を吸い、取り留めのない会話を交わす。スポーツ映画に期待されるような熱血ストーリーや勝ち負けへの執念などはここにはない。個性的なキャラクターが多く登場するが、だからといって、そのキャラクターをより深く知る必要もない。観客は、彼らが最後までプレーするのをひたすら目撃するだけだ。
客に愚痴を聞いてもらっているキッチンカーのオーナー、野球をよく知らない通りがかりのスケートボーダー。父親の応援に来たが退屈している子供たち。誰に頼まれたわけでもないが毎回のように試合に通うスコアキーパー。そんなグランドの周辺にも目を配りながら映画はゆっくり進行していく。
ひとりの選手の到着が遅れあわや没収ゲームになりかけたり、試合の途中で家族の用事で呼び出され、突然キャプテンが姿を消したりする。すべてがとてものんびりとしているが、球場の周りを囲む木々がオレンジ色に変化して夏の日の終わりを告げているように、永遠に続くように思えたものが静かに終わろうとしている。
フレデリック・ワイズマン的な技法を借用し、ある意味インスタレーションを想起させるような緻密なコンセプトで語られる本作は非常に斬新なことをやってのけているのだが、全編に流れる独創的でゆるやかな雰囲気にプラスして陽気でユーモラスな表現が豊富に盛りこまれているのでまったく気取った感じがない。
映画は試合終盤、元レッドソックスのメジャーリーガー、ビル・“スペースマン”・リーが登場する。突然アドラーズ・ペイントのダッグアウト付近に現れたリーは現役時代、得意にしていた「イーファス・ピッチ」で打者を翻弄する。本作の原題でもある「イーファス(Eephus)」とは、大きな弧を描く超スローボールのこと。なんとも遊び心のあるシーンだ。
突然現れた彼は突然去っていなくなるが、誰も彼のことを気にしていないのもファンタジックな趣でとてもいい。
次第にあたりが暗くなり、日が沈み、ボールが見えにくくなって来た。試合は同点のままで、審判は帰ってしまうが選手たちはフィールドを去ろうとしない。人々は車のヘッドライトを点灯し、視界を確保する。最後の一イニングを早く終わらせたいが、一方で終わりたくない。そんな選手たちの思いが暗くなった光景からひしひしと伝わって来る。
試合が終われば、彼らの平凡な野球の人生も終わるだろう。中には別のチームに移る者もいるだろうが、もう同じメンバーで集まることはない。ある選手はまたみんなで集まろうと声に出して言うが、おそらくそれは実現しないだろう。
『さよならはスローボールで』は単に野球の試合を描いただけの作品ではない。深く心に刻まれるのは、人生の脆さと、そこに存在するすべてのものが有限であることだ。今日、当たり前にここにあると思っていたものが、明日には消えてしまうかもしれない。
それでも、夕暮れのグラウンドに立つ選手たちの姿は、消えゆくものの中に確かに存在する“いま”の輝きを映し出している。勝敗よりも、誰と時間を過ごすか。結果よりも、どのように終わりを迎えるか。その穏やかで誠実なまなざしこそが、この映画を特別なものにしている。
静かに幕を下ろすその瞬間、私たちは気づくだろう。“さようなら”とは終わりの言葉ではなく、“ここにいた”という証なのだ、と。
映画『さよならはスローボールで』作品情報

2024年製作/98分/アメリカ・フランス合作映画/原題:Eephus
監督:カーソン・ランド 製作:マイケル・バスタ、デビッド・エンティン、カーソン・ランド、タイラー・タオルミーナ 製作総指揮:マイケル・トネッリ、ブライアン・クラーク、アシシュ・シェッティ、ジム・クリスマン 脚本:マイケル・バスタ、ネイト・フィッシャー、カーソン・ランド 撮影:グレッグ・タンゴ 美術:エリック・ランド 編集:カーソン・ランド
出演:キース・ウィリアム・リチャーズ、クリフ・ブレイク、ビル・“スペースマン”・リー、ウェイン・ダイアモンド、ジョー・カスティリオーネ、フレデリック・ワイズマン(
ラジオアナウンサー声の出演)
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