吉田浩太監督の最新作『スノードロップ』は、生活保護受給というセーフティネットをテーマに、監督自身の経験と、ある一家の実話を基にして描かれた社会派ヒューマンドラマだ。
認知症の母と病に倒れた父を抱え、貯金ゼロの現実に直面した娘が下す苦渋の選択を通じて、生活保護制度の周辺に横たわる構造的な問題、現代日本の貧困意識が浮かび上がる。こうした問題を背景としながら、吉田浩太監督は沈黙の奥に潜む“人の心”に注目しようとする。
オーディションで選ばれ、17年ぶりの映画主演となる西原亜希が演じる娘・直子の抑えた表情と、長回しで寄り添うカメラが、観る者に痛みと静かな希望を残す、静かなる衝撃の1本だ。
映画『スノードロップ』は2025年10月10日(金)より、新宿武蔵野館にて公開中。関西では10月24日(金)より京都シネマ、11月1日(土)より第七藝術劇場、元町映画館にて公開される。
目次
映画『スノードロップ』あらすじ(ネタバレなし)

母・キヨと同居している葉波直子の元に、20年前に蒸発して以来行方の知れなかった父・栄治が突然、帰って来た。直子は突然のことに困惑するが、母キヨが望むのならと、父がまたこの家で暮らすことに同意する。
それから10年の年月が過ぎ去り、キヨは重度の認知症を患っていた。直子は仕事をやめ、母に付きっ切りの毎日。栄治が新聞配達をして、一家を経済的にささえていた。
しかし、栄治の持病が悪化し仕事が出来なくなってしまう。父の仕事先の社長に生活保護の申請を勧められた直子は市役所に出向き、ケースワーカー・宗村とのやり取りを重ねて申請作業を進めていく。
重度の認知症の母と病気の悪化により仕事が出来ない父、直子自身も母の面倒を看なくてはならないので仕事につけない。さらに預貯金もほとんどないという一家の状態は生活保護を受けるのに十分な資格があった。
葉波家の訪問審査も無事、終了し、生活保護の受給がほぼ決まった夜、栄治は直子にある衝撃的な言葉を告げた……。
映画『スノードロップ』感想と評価

認知症の母の介護を十年続けてきた直子は、仕事を辞めざるを得ず、父の新聞配達の収入でなんとか暮らしていた。だが父の持病の痛風が悪化し、仕事が困難になった上に手術をする必要があるという。手術には金がかかる。生活保護を申請するよう勧められ、直子は役所へと向かった。
ぎりぎりの均衡で成り立っていた生活が、ひとつ傾くだけでガラガラと崩れていく。『スノードロップ』の主人公一家が直面する「介護」、「貧困」、「老い」という問題は誰にでも起こり得る事柄と言えるだろう。
ケースワーカーの宗村(イトウハルヒ)は、直子の説明や真面目な態度に共感を覚え、真摯に対応してくれる。宗村は10年間、母親の介護にあたった直子を心からねぎらい、介護支援の申請も同時に進めましょうと助言する。直子たち一家の暮らしぶりや生活環境などの調査も終わり、どうやら申請は無事、受理されそうだという段階になって、物語は意外な方向へ大きく揺れる。一体なぜ!?
吉田浩太監督は現代日本社会の脆弱な現実を、声高に問題提起するのではなく、一人の女性の沈黙を通して描き出している。
直子は口数が少なく、誰に対してもどこかよそよそしい。その不自然な静けさの理由は、父の存在に遡る。かつて突然家を出て20年間行方不明だった父が、ある日帰ってくる。姉は父に怒りをぶつけるが、直子は母の望みを理由に父を受け入れる。その受動的な態度の裏には、主体性を欠いた人間の弱さではなく、自己を失わなければ生き延びられなかった時間の重みが沈殿している。
引きの画面の長回しを多用するカメラが、直子に対して遠慮がちにゆるゆると近づいていくことが幾度かある。まるで直子の心情をうかがうかのように。父をトイレに連れて行き、ドアの近くで立って待っている直子の後ろ姿に近づいていくカメラは、静まり返った真夜中という時間帯であることもあって、もっとも緊張感が漂うシーンである。 私たちは、直子の父親に対するわだかまりがなんらかの形で爆発したりするのだろうか、と想像する。しかし、映画はそのような門切り型のストーリーには陥らない。 終盤の直子の告白で初めて私たちは彼女たちの行動の背後にある動機を知ることとなる。人間の心の奥に隠された心情というものが、いかに他者にとって理解しにくいものなのかということを思い知らされるのだ。
家族が(父と直子)が選択した行動における過程で、カメラは数度、父の顔をアップでとらえる。まばたきもしない父の強い眼差し。ここでの強度なアップショットと切り返しの技法が、私たちが伺いしれなかったこの親子の強い絆を表している。
照明は全体に落ち着いついた雰囲気だが、褪せたようなトーンが画面を占めている。この視覚的設計は、西原亜希の演技と見事に共鳴している。
彼女は感情を演じるのではなく、感情の「揺らぎ」をそのまま体全体で、その存在自体で表現しているのだ。彼女の圧倒的な演技があるからこそ、吉田浩太の冷静なカメラワーク、主観を捉えようとする多岐にわたる映画話法が生きて来ると言っても過言ではない。
『スノードロップ』は、社会の現実を映す鏡であると同時に、沈黙の中に潜む人間の主体性を問う作品だ。
高齢化社会、貧困問題がもたらす苦悩や困難は、単なる制度の問題ではない。その背後には、社会に蔓延る偏見や人間の尊厳など、言葉にはし辛い人間個々の主観的なドラマが確かに息づいているのだ。
『スノードロップ』は、その静かな叫びに耳を澄ます映画である。
映画『スノードロップ』作品情報

2024年製作/98分/日本映画
監督・脚本:吉田浩太 プロデューサー:後藤剛 撮影監督:関将史 撮影:関口洋平 録音:森山一輝 美術:岩崎未来 衣装:高橋英治 メイク:前田美沙子 主題歌:浜田真理子「かなしみ」 助監督:工藤渉 スチール:須藤未悠 制作:古谷蓮
出演:西原亜希、イトウハルヒ、小野塚老、みやなおこ、芦原健介、丸山奈緒、橋野純平、芹澤興人、はな
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