映画『アイム・スティル・ヒア』はブラジルの名匠ウォルター・サレスが、実話を基にブラジルの軍事政権下の非道に耐えた一家の数十年の物語を描いた作品だ。2025年12月26日(金)より U-NEXTで独占先行配信開始。
映画『アイム・スティル・ヒア』は、1970年代のブラジル軍事独裁政権下、元下院議員ルーベンス・パイヴァが軍に連行され行方不明となり、妻エウニセが5人の子を育てながら夫の消息を追い続ける姿を描く実話を基にしたヒューマンドラマ。
監督を務めたのは、『セントラル・ステーション』(1998)、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2004)などで知られるブラジルの名匠ウォルター・サレスだ。『オン・ザ・ロード』(2012)以来12年ぶりの長編監督作となる。
原作はルーベンスの息子マルセロ・ルーベンス・パイヴァが2015年に発表した回想録『Ainda estou aqui』。
ウォルター・サレス監督は10代の頃、パイヴァ家の近隣に引っ越して来て一家と親しく付き合っていた。友人の父親が突然姿を消したことに当時、大きなショックを受けたという。
ウォルター・サレス監督は、受難以前の一家の暮らしを光溢れる太陽の下、当時、流行した音楽やファッションなどと共に煌びやかに綴っており、一家の幸せを象徴する美しさと暖かさを蘇らせている。
それゆえにその後の暮らしのつらさが身に沁みるが、同時に彼らが闘い続けられたのもその絆ゆえであることがわかる。
激動の時代を生きた人々の姿は、現代の私たちの社会への一つの警告でもあるだろう。家族の日常の問題と社会の問題は切り離せないものだからだ。
目次:
映画『アイム・スティル・ヒア』作品情報

邦題: アイム・スティル・ヒア
原題:Ainda estou aqui(英題:I’m Still Here)
ジャンル:政治/歴史/ヒューマンドラマ
監督:ウォルター・サレス
脚本:ムリロ・ハウザー、エイトール・ロレガ
原作:マルセロ・ルーベンス・パイヴァ
撮影:アドリアン・テイジド
製作国:ブラジル、フランス
日本公開:2025年
上映時間:133分
キャスト:
(役柄)エウニセ・バイヴァ:フェルナンダ・トーレス
ルーベンス・バイヴァ:セルトン・メロ
エウニセ(老年期):フェルナンダ・モンテネグロ
ヴェラ(思春期):ヴァレンチナ・ヘルツァジ
ヴェラ(成年期):マリア・マノエラ
エリアナ)少女期)ルイザ・コソフスキ
エリアナ(成年期)マルジョリエ・エスチアーノ
映画『アイム・スティル・ヒア』あらすじ

1971年、軍事独裁政権下のブラジル、リオデジャネイロ。元下院議員のルーベンス・パイヴァは妻のエウニセと5人の子供たちと共に、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、突然、数人の男たちが家に押しかけ、話が聞きたいからとルーベンスは連行される。彼らは名前も所属も何も語らなかったが、政府軍によって連れ去られたのはあきらかだった。
何人かの男たちがルーベンスが戻るまで待つと家に残ったが、ルーベンスは帰ってこなかった。男たちはその間、家をうろつき、クローゼットを開けて何かを探しており、家族は落ち着かない時間を過ごした。
エウニセは、5人の子どもを抱えながら夫が戻ってくることを信じて待つが、やがて彼女自身も拘束され、何度も写真を見せらて、政権を批判する人物の告発を強要される。拘留は12日間にも及んだが、突然釈放される。軍の施設をあとにするとき、夫の車が駐車場に停められているのが見えた。
その後も夫の消息は一切、知らされなかった。銀行に預けた金も彼がいなければアクセスできないことが判明し、家政婦に給料を払うこともままならなくなったエウニセは、友人に頼んで、新しい家を建てようとしていた土地を処分して金銭の工面をする。
夫が消息を絶って、二年が経ち、夫の仕事仲間からもう亡くなっているらしいという悲しい報せを聞かされる。しかし、軍や政府は何も情報を明らかにしない。
彼女はリオデジャネイロを離れ、両親や親せきが住むサンパウロに移ることを決心する。子どもたちを育てながら、大学に入り直し、42歳で弁護士の資格を習得。夫と同様に軍事政権下で行方不明となった人々に何が起きたのかを突き止める運動の中心人物となっていく。
エウニスの声はやがて、時代を揺るがす静かな力へと変わって行く。
映画『アイム・スティル・ヒア』公式予告編
映画『アイム・スティル・ヒア』感想・レビュー

エウニセ・パイヴァがリオデジャネイロのビーチで泳いでいる時、彼女の5人の子供たちはビーチバレーに興じて歓声を上げていた。コートに紛れ込んだ一匹の野良犬は一家の末っ子マルセロによって家に連れてこられる。彼らの家はビーチから道路を一つ隔てたすぐ傍にあるのだ。マルセロは商談中の父、ルーベンスに犬を飼ってよいか尋ねるが、父の返事はノーだ。だが、次の場面では野良犬には名前が与えられ、一家の仲間入りを果たしている。家族の愛情と幸せに満ちた生活が伺えるオープニングだ。ウォルター・サレス監督は光に溢れた柔らかなタッチで夏を謳歌する一家の姿を捉えている。
10代の長女ヴェロカはどんな時でもスーパー8カメラを手放さず、映画と音楽に夢中だ。彼女の部屋はポップカルチャーに溢れ、映画全編を通してホベルト・カルロス、カエターノ・ヴェローゾ、トン・ゼーといった当時流行っていたブラジル音楽や海外のロックが流れている。映画内に登場するヴェロカの撮ったホームビデオは、一家の幸せを象徴していると共に、その粒子のざらついた映像は時代の空気をたっぷり感じさせる。
そんな一家の美しい生活の背後には暗い影が忍び寄っている。思い起こせば、水泳を楽しむエウニセの頭上をヘリコプターが飛び(カメラはエウニセの視点となってぐるりと回ってその姿を見上げる)、軍用車両が物々しく道路を走り抜けていた。ヴェラは映画の帰りに検問所で尋問を受け恐怖の体験をし、行方不明事件を報じるニュースが後を絶たない。彼らが暮らしている1970年代のブラジルは、軍事独裁政権下にあった。
ある日、ルーベンスが複数の男たちによって連れ去られる事件が起きる。その翌日、エウニセも15歳の次女エリアナと共に車に乗せられ、軍の施設に連行される。エリアナはすぐに開放されるが視界を遮られ手錠をかけられたときの恐怖はどれほどのものだったろうか。こんな子供まで取り調べるとは驚くしかない。
一方、エウニセが解放されたのは12日後だった。反体制派と疑われた人がどのような仕打ちを受けたのか、サレス監督はエウニセの体験を通して、その苛烈で恐ろしい光景を身の毛もよだつような形で描いている。
ルーベンスはその後、何の情報もないまま二度と帰ってこなかった。20年以上にも渡る軍事政権下において、逮捕された市民は2万人以上、そのうち、何千人もの人々が姿を消し、ルーベンスと同じように二度と戻ることはなかった。
映画『アイム・スティル・ヒア』はルーベンスが連れ去られた1971年から、2010年代までの数十年に渡る物語だ。ルーベンスが「政治的失踪者」と認定されたのが1993年、死亡証明書が正式に発効されるのにさらに3年がかかった。政府からの説明が何もないままここに至るまでどれほど長い年月がかかったか、残された家族それぞれの人生にどれほど大きな影響を与えてきたことか。
だがこれらのことは、後年、エウニセが弁護士資格を取り、国に対して働きかけ続けたがゆえにようやく達成しえたもので、そのような認定を受けられなかった人々も大勢いただろうと推測できる。
エウニセは、当初、愛情深い妻、優しい母として登場して来るが、夫の行方がわからなくなってからは、喪失感と哀しみの中にありながらも、5人の子供たちを守り通すために、冷静に物事に対処し、真実を突き止めるために強くあり続けようと努める人物として映画の中に立ち続ける。
5人の子供のうち、まだ幼い二人の子に、「父親は仕事に出ている」と言って本当のことを伝えないのは、まだ人生の陰の部分も知らず、永遠の夏を楽しんでいるような幼い子たちのその時間を止めたくなかったからだろう。いつしか二人も事の真相を知ることになるが、今はまだその時間ではない、決して軍事政権にこの貴重な時間を奪われたくないという強い「抵抗」の表れなのだ。
家族の「笑顔」を奪わせはしないという彼女の「抵抗」の意志がもっともよく表されているのは、ルーベンスの失踪を新聞に取り上げようとしてくれている記者たちが、パイヴァ一家の写真を撮ろうと彼女たちにカメラを向けるシーンだろう。カメラマンは撮影の準備を整えるが、笑顔を浮かべている母親と5人の子供たちを見て、笑わない方がいいと注文をつける。その方が世間により訴求するだろうと彼らは考えたからだ。
だが、エウニセは暗い顔を見せるつもりはない。被害者家族は不幸そうでないといけないだなんて誰が決めたのだとばかりエウニセは微笑み続け、子どもたちも楽しくてしょうがないというふうに笑い転げる。カメラマンは圧倒されそのまま彼らの笑顔を撮ることになる。
哀しみから目を背けているわけではない。彼らは闘っているのだ。一家が幸福であることが、軍事政権という明らかに間違ったものに対する最大の抵抗であり、挑戦なのだから。
ウォルター・サレス監督は、1970年代初頭、自身が10代のころに、パイヴァ家の近くに引っ越してきて、彼らのオープンで文化的な雰囲気に憧れたという。ブラジルでは誰もが知っている事件を扱いながらも、 ウォルター・サレス監督にとって、本作は極めてパーソナルな物語とも言えるだろう。実際に起こった出来事を目撃した彼が抱いた緊迫感が作品の中に巧みに込められ、また、一家に対する愛情が作品の根底を成す基盤となっている。
まとめ
サレス監督が描いたのは笑いも悲しみも痛みも歓びも存在する一家の苦闘の人生だ。そして、個人の生活がいかに政治と密接に連動しており、家族の日常の問題は社会の問題でもあることを明らかにしている。だからこそ、私たちは政治に無関心でいてはいけないのだ。
エウニセ役のフェルナンダ・トーレスは、抑圧と闘う強い意志と家族への愛を繊細に表現し、第82回ゴールデングローブ賞で最優秀主演女優賞(ドラマ)を受賞。第97回アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされた。老年期のエウニセを、フェルナンド・トーレスの実の母親である名優フェルナンダ・モンテネグロが演じている。
歴史の闇に立ち向かう人間の尊厳を描いた本作は、第97回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した。
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