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映画『私たちが光と想うすべて』あらすじとレビュー/第77回カンヌ国際映画祭でインド映画史上初のグランプリを受賞

看護師のプラバは夫との疎遠な関係に悩み、陽気な年下の同僚アヌはひそかに交際するイスラム教徒の恋人がいた。病院の食堂で働くパルヴァディは立ち退きを迫られ住む場所を失いかけている・・・。

 

映画『私たちが光と想うすべて』は、ドキュメンタリー映画『何も知らない夜』(2021)が2021年のカンヌ国際映画祭監督週間や2023年の山形国際ドキュメンタリー映画祭などで受賞を果たし高い評価を受けたパヤル・カパーリヤー監督の初長編劇映画だ。人生のままならぬ状態に対峙する3人の女性が、ムンバイの喧騒と海辺の村の静寂の中で心を通わせ、自由を求める姿が美しい映像で綴られている。

 

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第77回カンヌ国際映画祭(2024)でインド映画史上初のグランプリを受賞したのをはじめ、第82回ゴールデン・グローブ賞など100を超える映画祭・映画賞にノミネートされ25 以上の賞を受賞。オバマ元⼤統領の2024年のベスト10にも選ばれ、70か国以上での上映が決定するなど、世界中から⾼く評価されている。

 

目次

 

映画『私たちが光と想うすべて』作品情報

(C)PETIT CHAOS - CHALK & CHEESE FILMS - BALDR FILM - LES FILMS FAUVES - ARTE FRANCE CINEMA - 2024

2024年製作/118分/PG12/フランス・インド・オランダ・ルクセンブルク合作映画/原題:All We Imagine as Light

監督・脚本:パヤル・カパーリヤー 製作:トマス・ハキム、ジュリアン・グラフ 撮影:ラナビル・ダス 美術:ピユシュ・チャルケ、ヤシャスビ・サバルワル、シャミム・カーン 衣装:マキシマ・バス 編集:クレマン・パントー 音楽:ドリティマン・ダス

出演:カニ・クスルティ、ディヴィヤ・プラバ、チャヤ・カダム、リドゥ・ハールーン、アジーズ・ネドゥマンガード。


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映画『私たちが光と想うすべて』あらすじ

(C)PETIT CHAOS - CHALK & CHEESE FILMS - BALDR FILM - LES FILMS FAUVES - ARTE FRANCE CINEMA - 2024

インドのムンバイで看護師をしているプラバと、年下の同僚のアヌはルームメイトでもある。互いに信頼し合っているが、性格の違いからか、どこか心の距離を感じさせるものがあった。

 

プラバは親が決めた相手と結婚したが、夫はドイツに仕事を捜しに行き、もう一年以上音沙汰がない。アヌには密かに付き合っている恋人がいるが、故郷の親から毎日のように見合い写真が届いていた。恋人がイスラム教徒だと知れば、両親は絶対に交際を認めないだろう。

ある日、プラバあてにドイツから炊飯器が届くが、送り主の名も手紙もなかった。プラバは、思い切って自分から電話してみるが通じない。

 

病院の食堂に勤めるパルヴァティは長年暮らしていた家を追い出されようとしていた。高層ビル建築のために住民は立ち退きを迫られ、権利書が手元にないパルヴァティは、不法侵入者として訴えられかけていた。

 

プラバは医師が紹介してくれた弁護士のもとに、パルヴァティと共に出かけて行くが、彼女に自分の存在を証明する書類がないと知ると、弁護士もお手上げ状態だった。

 

パルヴァティは、故郷の海辺の村へ帰る決断をする。揺れる想いを抱えたプラバとアヌは、一人で生きていくというパルヴァティの引っ越しの手伝いとして、同行する。

 

パルヴァティの家にはブレーカーはあるものの電気も通っていなかった。神秘的な森や洞窟のある別世界のような村で、プラバとアヌはそれぞれの人生を変えようと決意させる、ある出来事に遭遇する──。

 

映画『私たちが光と想うすべて』感想と評価

(C)PETIT CHAOS - CHALK & CHEESE FILMS - BALDR FILM - LES FILMS FAUVES - ARTE FRANCE CINEMA - 2024

ムンバイは世界でも有数の人口を誇り、移住者で溢れ、多言語が飛び交う大都市だ。

映画はまだ夜が明けきらぬムンバイの路上で、店開きしたりトラックから品出しをする人々を捉えた長いパンショットで始まる。そのドキュメンタリー風の映像に、「夢の街」に移住してきた実在の人々のモノローグが重なる。「いつかこの街を追い出される気がしてならない」、「ムンバイには仕事とお金がある。どの家にもムンバイに居る親戚がいる」、「都会が何もかも忘れさせてくれる」「ムンバイで暮らすには無情に慣れることだ」等々・・。まだ暗かった巨大な街はいつの間にか目覚めており、道路は渋滞し、駅は人でごった返している。

 

次いでカメラは女性専用車両の様子をスケッチして行く。本作の主人公の一人であるプラバ(カニ・クスルティ)がここで初登場する。彼女はひとりだけで画面を占めていて、電車の手すり(スタンションポール)につかまっているが、まるでメリーゴーランドに乗っているかのような切り取られ方をしている。だが、すぐに画面は彼女の視線となって、駅や反対車線を通過する電車の風景に切り替わる。

さらに病院の窓際のカーテンが、開かれると、カメラはすっと寄って行き、プラバの姿を外からガラス越しに捉える。窓から見える彼女の顔に、街の姿がかすかに重なって見える。彼女は看護師としてここで働いているのだ。

 

プラバは、親に決められたよく人柄も知らない相手と結婚したが、夫はドイツに仕事を捜しに行ったきり、一年間も音沙汰がない。送り主の名もなくドイツから届いた炊飯器は何を意味するのか。病院の食堂で働くパルヴァティ(チャヤ・カダム)に勧められ、夫に電話してみるが通じない。そんな孤独な夜、カメラは彼女の部屋の開け放たれた窓にゆっくりと近づき、3棟並んでそびえる向かいの高層マンションを映し出す。青や赤、黄色に染まる小さな窓の集合。カメラはさらにその一棟に近づくが、窓に人影はない。だが、誰かがそこに居るからこそ明かりが灯っているのだ。住んでいるのはプラバのように孤独を抱えた人達なのだろうか、あるいは家族で幸せな時を過ごしているのだろうか。

 

ラナビル・ダスのカメラは、騒々しく混沌としたムンバイの街を、極めて繊細に、柔らかな青みがかった色合いで捉えている。看護師たちの制服も青いサリーである。

雨季のため、常に雨が降り注いでいるが、雨が降り出してあわてて数人の看護師たちが病院の屋上に走って洗濯物のシーツを取り入れる印象的なシーンでは、青とピンクと白のシーツが美しく輝いている。それらは映画の後半、主人公たちが訪れる海辺の村の黄色い閃光とはまったく異なる色合いだ。

 

プラバは年下の同僚アヌ(ディヴィヤ・プラバ)と同居している。アヌは、生真面目で規則を遵守するプラバとは違い、おおらかで情熱的だ。彼女は密かに交際している男性がいるが、周囲の詮索好きな目から逃れ、二人きりになれる場所を見つけるのに苦労している。恋人はイスラム教徒で、アヌ自身は気にしていないが、周囲はそうは見てくれない。四六時中、お見合い写真を送って来るアヌの両親が彼との交際を許すはずがないと思うと気が重くなる。

一方、パルヴァティは、20数年暮らしている今の家を追い出されようとしている。再開発が行われることになり、彼女は不法滞在者扱いされているのだ。夫は彼女に土地の権利書を委ねる前に亡くなってしまい書類がどこにあるかわからない。自分自身を証明するものがないパルヴァティは、プラバが紹介した弁護士にも話にならないと相手にしてもらえない。

 

彼女たちは、ムンバイで暮らす多くの人と同様に、仕事を求めてこの地にやって来た移住者だ。生活の向上を夢見てムンバイにやって来たものの、仕事はハードでそれぞれが葛藤を抱えている。果たして人生は豊かになったのだろうか?

看護師たちの母国語はマラヤーラム語だが、ムンバイで生活していくためにはヒンディー語を話さなければならない。プラバを密かに思う医師のマノージは慣れないヒンディー語に苦労している。パルヴァティとプロバは、「階級とは特権階級にとっての特権である」と書かれたディベロッパーの看板に石を投げつけ、ささやかな抵抗をする。言語、性別、宗教、カースト、貧富の差が一人、一人を縛り付けている。

 

ガネーシャの祭りのシーンでは都市生活者のモノローグが再び流れ始める。「幻想を信じないと気が変になる」。その言葉の通り、人々は、ヒンドゥー教の神様「ガネーシャ」像とコカコーラの看板が並ぶ資本主義の喧噪の空間で、無心に踊り続け、花火がムンバイの街に高らかに打ちあがる。

映画は綿密な観察力で、大都会ムンバイとその市民像を描いている。パエル・カパーリャ監督は、現代のインドの都市に暮らす名もなき人々の見落とされてしまいそうな日々の暮らしに焦点を当て、私たちに目を向けさせようとしている。

 

映画の中盤、3人の主人公はムンバイを離れ、海辺の村ラトナギリへと旅立つ。パルヴァティが故郷に帰ることを決断し、プラバとアヌはその引っ越しの手伝いにやって来たのだ。そんな中、アヌはこっそり恋人とこの場で待ち合わせをしている。

 

この村では聞こえてくるのは波や風の音ばかりだ。女性たちは古いウイスキーの瓶を見つけ、回し飲みして陽気に踊る。時間の流れが変化し、時に昼と夜の区別すらつかないときがある。

 

溺れかけた男(アナンド・サミ)が浜辺に流れ着き、プラバは心肺蘇生で彼の命を救う。それをきっかけに物語はマジックリアリズムへとシフトし、プラバが夫と再会する幻想的なドラマを構築する。それらはタイのアピチャッポン・ウィーラセタクンの作品を彷彿させる。プラバは、自ら引いてしまった様々な心の境界線を整理する機会を得、孤独の呪縛から解き放たれるのだ。

 

一方、アヌは恋人と共に入った洞窟の壁に、自分の顔に似た像が刻まれているのを発見する。女性たちは、それぞれの経験から、力強く立ち上がり、他者に対して心を開き、偏見のない眼差しを獲得するのだ。

 

友情を育む時間と空間に、バーを飾る電飾と、夜空の星が美しく瞬き、Topsheによるテーマ曲「Imagined Light」が流れる素晴らしいエンディングが訪れる。

 

海辺の村ラトナギリとムンバイが見事なコントラストで描かれているが、パエル・カパーリャ監督は、それらを二項対立として描いているわけではない。なぜなら、ムンバイもまた、ずっと美しく描かれて来たからである。女性たちの現実をありのままに描き出しながらも、ラナビル・ダスのカメラは、柔らかなタッチで街を彩るあらゆる色彩の美しさを記録し、絶え間なく脈動する都市のエネルギーを観る者に伝え続けていたではないか。

 

エマホイ・ツェゲ=マリアム・ゲブロウが作曲・演奏したピアノ曲は、人々の心の内から沸き上がって来たかのようにエモーショナルに響き、ムンバイの街とそこに暮らす人々を包み込む。本作はムンバイへのパエル・カパーリャ監督からのラブレターでもあるのだろう。

 

プラバはビーチのバーで他の3人と共に座りながら、アヌのボーイフレンドの故郷について「一度行ったことがある。美しい場所だった」と語り、この海辺の村も美しいと続ける。

 

彼女は新たな活力を得て、ムンバイの生活に戻って行く準備を整えている。そんな彼女の口から「ムンバイの街も美しい」という言葉が出てくる日もいつか来るだろうか。

 

 

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