韓国映画『満ち足りた家族』は、『八月のクリスマス』(1998)などの作品で知られる名匠ホ・ジノ監督が手掛けるサスペンス作品だ。
物質的な成功を追求する弁護士の兄ジェワンと、道徳を重んじる小児科医の弟ジェギュ。相反する価値観を持つ兄弟は、それぞれ些細な問題を抱えつつも、おおむね平穏な日々を送っていた。しかし、ある夜、彼らの子供たちが犯罪にかかわったことが判明する。どう対処すべきなのか、2つの家族は激しくぶつかり合うが・・・。
兄に、ソル・ギョング、弟役にチャン・ドンゴンが扮しているほか、キム・ヒエやクローディア・キムといった豪華キャストが集結。親子の在り方や人間関係の複雑さを考えさせる濃厚な心理サスペンスとなっている。
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韓国映画『満ち足りた家族』作品情報
2024年製作/109分/PG12/韓国映画/原題:보통의 가족(英題:A Normal Family)
監督:ホ・ジノ 原作:ヘルマン・コッホ『冷たい晩餐』(イーストプレス) 製作:キム・ウォングク 脚本:パク・ウンギョ、パク・ウンソク 撮影:コ・ラクソン 編集:キム・ヒョンジュ 音楽:チョ・ソンウ
出演:ソル・ギョング、チャン・ドンゴン、キム・ヒエ、クローディア・キム
韓国映画『満ち足りた家族』あらすじ
ヤン・ジェワンは大手事務所に所属するエリート弁護士だ。かなり年下の2人目の妻ジス(クローディア・キム)と10代の娘ヘユン(ホン・イェジ)と共に豪華なマンションで暮らしている。ジュワンは正義感よりも利潤を最優先するタイプで、金がすべてを解決するという思考の持ち主だ。
ジュワンの弟ヤン・ジェギュ(チャン・ドンゴン)は、病院に勤務する小児科医だ。道徳的で良心的な医師として知られ、腕もよい。フリーの翻訳家である妻イ・ヨンギョン(キム・ヒエ)と10代の息子シホ(キム・ジョンチョル)、そして痴呆の兆しがある母親と共に暮らしているが、ヨンギョンはしばしば暴れる義母の介護にいささか疲れ気味だ。
この兄弟は、妻を伴って月に一度、高級レストランの個室で食事会を開く習慣があった。決して楽しい会ではないのだが、兄に誘われれば、弟は断れない。ヨンギョンは、後妻におさまったジスのことが気に入らず、彼女にたびたびつらくあたった。
そんなある日、親たちが食事会で家を空けている時、彼らの子供たちが重大な事件を起こしてしまう。ヘユンとシホは、友人たちとのパーティーに出席した帰り道、ホームレスの男性に暴行を加え、大けがを負わせたのだ。その様子を防犯カメラがとらえており、その映像がテレビニュースで報道され、SNSで拡散されていた。
画質が悪く顔ははっきりとうつっていなかったが親たちが見ればそれが自分の子であることは一目瞭然だった。
子供たちの将来を考え、このまま知らない顔をして事件を隠蔽すべきか、あるいは自首して罪を償わせるべきか。ジュワンは隠蔽すべきだと主張し、逆にジェギュは正直に名乗り出て罪を償うべきだと主張。互いに譲らず話し合いは平行線をたどる。
事件が明るみに出ると、子供たちはもちろん、ジュワンやジェギュも社会的地位を失うかもしれない。それぞれの信念と道徳観がためされ、彼らの心は激しく揺れ動く。そんな中、重体だったホームレスが亡くなったことが報道された。その時彼らは・・・。
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韓国映画『満ち足りた家族』感想と解説
弁護士の兄と医師の弟。社会的地位の高い二人の兄弟は、月に一度、それぞれの妻を伴って、高級レストランで会食をする。カメラはレストランの外からガラス越しに引きの映像で、彼らを捉え、彼らが一階のスペースの奥まで歩き、すぐに二階に上がっていく姿をワンショットで撮っている。一般客が陣取る一階を当然のように通り過ぎて二階のVIPルームへ。彼らが特権階級であることが改めて伝わるショットだ。このショットは後にもう一度繰り返されることになる。
兄弟をソル・ギョングとチャン・ドンゴンが演じるというなんとも贅沢な配役がなされている本作だが、ソウルで暮らす富裕層として経済的に恵まれた生活を送っている兄弟の間にも微妙な格差がある。ソル・ギョング扮する兄は大手弁護士事務所に勤務するエリート弁護士で、一人娘と若くて美しい再婚相手と共にソウルの最上級のマンションで暮らしている。一方、チャン・ドンゴン扮する弟は病院勤務の小児科の医師で、名医として知られているが、兄よりも収入は少ない。キム・ヒエ扮する妻はフリーランスの翻訳家だが、彼らの家は庶民的な家で、妻は年老いた義母の介護にいささか疲れ気味だ。
そんな彼らが催す月に一回の会食は決して楽しいものではない。兄弟間の格差がある種の緊張感を生んでいるのだ。それでもこの会が続いているのは、兄が家長を中心とした古い秩序を守ろうとしてすべてを仕切っているからだ。
正しさと道徳心を大切にする弟にとって兄は鼻もちならない人間に映っているはずだ。ただ、弟も温かみがみえず、どこか冷たさを感じさせるものがある。どうも彼は自分の息子に対して、ある種の失望を覚えているようなのだ。息子の成績が芳しくなく、学校でいじめられていることも彼にとっては全て「期待はずれ」に値するものなのだ。痴呆症の母が、彼を彼の父親(自分の亡くなった夫)と思い込み、「この人は優しい顔をしているけれど恐ろしい人なのよ」と叫ぶシーンがこのことを裏付けている。
そんな中、彼らの子供たちがホームレスをおもちゃのように暴行し、大けがを負わせるという事態が発生する。子供たちの犯罪行為を知った4人はどう対処すべきか相談するが、「隠蔽」と「自首」で話し合いは平行線をたどる。それぞれの信念や倫理観によって意見が対立するが、状況によって立場が入れ変わるなど、葛藤は最高潮に達する。
彼らが被害者側の苦しみや社会的責任を軽視する姿には、韓国社会に根強く存在する「家族至上主義」が見え隠れする。いかに社会的地位を保ち、家庭の平穏を続けるかという思惑が、家族外の人々に対する関心を著しく希薄にしているのだ。だが、その「家族至上主義」も子供を思う親の愛というよりはむしろ、富裕層としての今の生活を失いたくないという親たち自身の保身に重きが置かれているのは一目瞭然だ。
ここからはネタバレになってしまうが、兄の心変わりについて考察してみよう。映画の冒頭、財閥二世の男の悪行が描かれ、兄は彼の弁護人を引き受けることになる。男はまったく反省しておらず、金は出すから早く解決してくれと弁護士に苦情を述べる。弁護士の娘もこの男と同様にまったく反省の色が見えない。この男のようにのちのち迷惑をかけられるくらいなら、今のうちに対処しておくほうが金もかからず賢明だと兄は考えたのかもしれない。亡くなったホームレスの葬儀にも顔を出し、故人の老母に同情して家に金を投げ込んだ兄をここまで打算的な人間だと決めつけるのはあまりにも酷なことであろうか?
本作には俯瞰ショットがたびたび登場し、私たち観客は自ずと「観察の視点」に立たされることになる。自分たちが同じような事態になったとしたら果たしてどうするだろうか。気づけば本作で描かれるすべての問題がもはや他人事ではなくなっていくのである。