第二次世界大戦中のホロコーストを生き延び、アメリカへ渡ったハンガリー系ユダヤ人建築家ラースロー・トートの30年にわたる数奇な半生を描いた映画『ブルータリスト』。
タイトルの「ブルータリスト」とは、打ちっぱなしコンクリートの建造物のように、装飾を極力外して素材やテクスチャそのものに重きをおいた建築様式「ブルータリズム」の建築家を指す。「ブルータリズム」はユートピア思想に繋がる建築様式とも言われ、主人公ラースローの建築家としての生き様が作品の中心テーマとなっている。
主人公ラースロー・トートを演じるのは、『戦場のピアニスト』(2002)で第74回アカデミー賞主演男優賞を受賞したエイドリアン・ブロディ。ラースローの妻エルジェーベトに『博士と彼女のセオリー』(2014)で知られるフェリシティ・ジョーンズが扮し、ラースローと深い関わりを持つことになる実業家のハリソン役を『L.A.コンフィデンシャル』(1997)のガイ・ピアースが演じている。
監督、脚本を務めたのは、ナタリー・ポートマン主演の『ポップスター』(2018)などで知られるブラディ・コーベット。彼の多くの作品で共同脚本を務めている監督仲間のモナ・ファーストボールドが、今回も共同脚本を務めている。
IMAX の前身であるビスタビジョン方式の35㍉フィルムで撮影が行われ、ヴェネツィア映画祭では70mm上映が行われた。上映時間は15分のインターバルをはさむ215分で、重厚で壮大な物語が展開する。
第81回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。第97回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞など10部門にノミネートされ、主演男優賞(エイドリアン・ブロディ)、撮影賞、作曲賞の三冠に輝いた。
目次
映画『ブルータリスト』作品情報
2024年製作/215分/アメリカ・イギリス・ハンガリー合作映画/原題:The Brutalist
監督:ブラディ・コーベット 製作:ブラディ・コーベット 脚本:ブラディ・コーベット、モナ・ファストボールド 撮影:ロル・クローリー、美術:ジュディ・ベッカー 衣装:ケイト・フォーブス ヘア&メイク:ジェマ・ホフ 音楽:ダニエル・グルンバーグ
出演:エイドリアン・ブロディ、ガイ・ピアース、フェリシティ・ジョーンズ、ジョー・アルウィン、ラフィー・キャシディ、ステイシー・マーティン、イザック・ド・バンコレ、アレッサンドロ・ニボラ
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映画『ブルータリスト』あらすじ
1947年、ホロコーストを生き延びたハンガリー系ユダヤ人建築家、ラースロー・トートは、苦難の末、新天地アメリカに到着した。
ニューヨークから長距離バスに乗りペンシルベニア州の小さな町へ。迎えに来てくれていた従兄のアティラと固く抱き合ったラースローは、ヨーロッパに残して来た妻のエルジェーベト、姪のジョーフィアが生きていることを知らされ涙を流す。彼女たちは官僚主義と法律のわずらわしさのせいでオーストリアでずっと足止めされているという。
アティラはアメリカ人の妻と共に家具屋を営んでおり、ラースローに商品開発を依頼し、彼に寝床を用意してくれた。ある日、アティラの家具店の顧客であるハリーから、自宅の図書室を改装したいという依頼があった。父、ハリソンへのサプライズプレゼントにしたいという。
ラースローはバウハウスで学び、ブダペストではすでに大きな名声を得ていた。その経験とアイデアを活かして大胆なデザインを提案。しかし、具合の悪い母親を家に連れ帰ったハリソンは自分に無断で工事が行われていることに激怒。ラースローたちは追い出されてしまう。
高額な工事費は踏み倒され、アティラはラースローをクビにした。工事費のこと以上に妻からラースローに誘惑されたと聞かされたのが大きな原因だった。全く根拠のない話だったが、ラースローは黙って家具店を去った。
建設作業員として働くラースローのもとに、ハリソンが訪ねて来た。彼は一冊の雑誌を彼に手渡した。そこにはラースローがリフォームしたハリソン邸の図書室の写真が掲載されていた。
ハリソンはあの時は、最愛の母親が死に瀕していて気が立っていたのだと非礼を詫びて謝礼を渡し、彼を自宅のディナーに招待した。
ハリソンには副大統領の元で働く友人がいて、エルジェーベトとジョーフィアをアメリカに来られるよう図らってみると約束してくれた。
ハリソンは今ではラースローのことを高く評価しており、彼に大きなプロジェクトを打診する。それは小高い丘の上にコミュニティセンターを建てるというもので、中には大きな礼拝堂を設けたいという。
ユダヤ教徒であるラースローはカトリックの礼拝堂を作ることに戸惑いつつも、斬新なモダニズム建築の模型を完成させる。丘の上の建築が開始され、ラースローは溌剌と動き回るが、それは大いなる苦悩と闘争の始まりでもあった。
1953年、ようやく妻と姪がアメリカにやって来た。久しぶりの再会を喜んだものの、エルジェーベトは栄養失調による骨粗しょう症で車椅子生活を余儀なくされていた。また、姪のジョーフィアは戦時中のトラウマから一言も言葉を発しなくなっていた。
コミュニティセンターの施工は苦難続きだった。費用が膨らみ、それを抑えようと勝手に図面が書き換えられたことを知ったラースローは激怒。3メートルにわたる塔を低くするのなら、地下を深くする、超過分は自身のギャランティから補ってくれと主張した。
ある日、列車に積んでいた建材の積み荷が崩れ、けが人が出たという知らせが届く。どこの運送会社だ!とハリソンは怒鳴るが、経費削減のため、運送会社に頼まず、自分たちのチームで運んでいたことが判明。ハリソンは訴訟問題になると激高し、建設の中止を伝える。
仕事を失ったラースローは妻と姪と共に、ニューヨークに移り、オックスフォード出身の妻は記者として雑誌や新聞の家庭欄を担当し、ラースローは、建築会社に設計士として雇用されることとなった。
時が経ち、彼のもとにある人物がやってくる・・・。
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映画『ブルータリスト』感想と解説
1947年、ハンガリー生まれのユダヤ人建築家、ラースロー・トートは船底から階段を延々と駆け上がって空気の当たる場所に飛び出す。まず青空が目に入り、彼は船で出会った男と共に歓喜の声を上げる。スクリーンに現れる自由の女神像は逆さを向いているのだが。
ブラディ・コーベット監督の映画『ブルータリスト』は、第二次世界大戦後のアメリカを舞台に、(架空の)ユダヤ人建築家ラースロー・トートの半生を描いた作品だ。
第二次世界大戦後のアメリカは、自由と繁栄のイメージがある一方、移民たちが過去の傷を抱えながら新たな生活を模索する場所でもあった。
ヨーロッパの戦火を奇跡的に生き延びたユダヤ人建築家は、ナチスの迫害という大きなトラウマを抱えながら、戦後のアメリカへ渡り、夢と希望を頼りに新たなキャリアを築こうとする。しかし、思い描く理想の建築を追求しようとすればするほど、彼らはアメリカ社会の商業主義や、ユダヤ人や移民としての差別意識と衝突することとなる。
戦後のアメリカ社会は、作家性よりも大量生産による利益を追求する方向へ大きく傾いていった時代だ。建築家にとって、資本家やパトロンとの結びつきはプロジェクトを進めるうえで欠かせないものだが、その代償として妥協を求められる場面も少なくなかった。ラースローは予算を抑えるためという名目で別に雇われた建築家によって勝手に図面を書き換えられたと知り激怒する。彼にとってもっとも重要な建物の高さを予算のために削るなど絶対に認めるわけにはいかなかったのだ。
アメリカンドリームの象徴であり良き理解者に見えた実業家のハリソンとの関係は、次第に複雑なものに変わっていく。彼らの関係がこじれていくのは、単に建築家とパトロンの間に起こる認識のズレや金銭問題だけではなく、ラースローが移民であることが大きな原因となっている。
第一部でラースローが見せる、礼儀正しく、謙虚な姿は移民を迎える者たちにとって理想的なものだったといえるだろう。だが、彼がひとたび、建築家としての腕を振るい始め、決して妥協しようとしない別の顔を見せると、アメリカの人々は「不幸で健気な移民」でない彼を受け入れ難く感じるようになる。
それは、ハリソンの友人の尽力により、ようやく、長年足止めされていたオーストリアからアメリカへたどり着いたラースローの妻エルジェーベトにも言えることだ。彼女が栄養失調で車椅子生活をしていることは受け入れられても、彼女がオックスフォード大学出身で、記者として政治や社会面の記事を書いていたと聞かされると、かわいそうな移民のイメージから遠ざかる存在として、気まずい雰囲気が漂うのだ。
いまなお世界各地で移民や難民の問題が取り沙汰されるなか、「受け入れる」側の社会もまた理想を掲げつつ、多くの問題を含んでいる。自身より下の存在であれば手を差し伸べられても、対等であったり、自分たちよりも上を行くようになれば、それは許容しがたいことなのである。
『ブルータリスト』は、移民問題の根源にある“人間の懐の深さと浅さ”に鋭い視線を注いでいる。富を得た人間は次に教養や知的なものを求めるものだ。ハリソンも例外でなく、ラースローの才能を認められる自分自身に満足し、知的な人物として評価されたがったのだ。二部の終盤に彼がラースローに行う仕打ちは、彼が長年隠していたセクシュアリティの顕れかもしれないが、結局のところ、対等な関係を望んだのではなく、支配下に置きたかっただけだったことを証明している。
一方で、『ブルータリスト』は決して暗澹たる絶望だけを描く作品ではない。
文頭でも述べたように、「上を見上げる」「高いところに登る」という行為が、繰り返し重要なモチーフとして登場する。
ハリソンがラースローと晩さん会に招いた客人たちと一緒に彼の豪邸のすく傍の小さな丘を登っていくシーンを、引きの映像で捉えているのは、ただ風景を見せる以上の意味合いがある。広大な土地の中の小さな人間たちという存在、そうした小さな人間たちの希望になるものとしてそこに大きなコミュニティセンターが建てられるという建築がもたらす明るい未来を私たちに想像させるのだ。
さらに階段を上がる場面の多くは長回しでとらえられており、登り切るまでの息遣いや足取りを、時に、喜びや期待を、時に悲しみや困惑を込めて観客に追体験させる。
また、「ブルータリズム」という言葉からは、粗削りなコンクリート建築をイメージしがちな彼の建築物において、彼が3メートルという高さにこだわった理由が、エピローグで明かされる。
アウシュビッツを想起させるような狭い部屋が並ぶ建物なのだが、その形状を通して光を取り込み、人々に居場所を与える空間となっているのだ。これは彼自身がユダヤ人として疎外されてきた過去の体験から、「そこにいるだけで救われるような場所」を願った結果と言えるかもしれない。カメラは何度も天井を見上げ、そこから漏れる光の尊さを実感させるのである。
『ブルータリスト』は、戦後アメリカという巨大なキャンバスに、ユダヤ系建築家の孤独と情熱を“コンクリートで描き出した映画”だ。そこには、歴史の災禍によって刻まれた深い傷跡と、まばゆい未来への野心が複雑に入り混じった人間ドラマが横たわっている。移民としての葛藤や差別、芸術と資本主義の相克は、今この時代においても変わらない普遍的なテーマとして、私たちに多くの問いを投げかけている。