映画『セプテンバー5』は、1972年のミュンヘンオリンピックの最中に起こったパレスチナ武装組織「黒い九月」によるイスラエル選手団人質事件を、テレビクルーの目線で描いたサスペンス作品だ。
監督を務めたのは『HELL』(2011)などの作品で知られるスイス人監督ティム・フェールバウム。ティム・フェールバウム、モリッツ・ビンダー、アレックス・デビッドが共同で執筆した脚本は、スポーツイベントの取材から一転して、これまで生放送で報道されたことのない悪夢のようなテロ事件を追うことになった放送チームの緊迫の一日をノンストップで描いている。
主要キャストには、ピーター・サースガード、ジョン・マガロ、レオニー・ベネシュが名を連ね、それぞれが迫真の演技を見せている。
本作は第82回ゴールデングローブ賞でドラマ部門作品賞に、第97回アカデミー賞では脚本賞に、それぞれノミネートされた。
目次
映画『セプテンバー5』作品情報
2024年製作/95分/G/ドイツ・アメリカ合作映画/原題:September 5
監督:ティム・フェールバウム 製作:フィリップ・トラウアー、トーマス・ビュブケ、ティム・フェールバウム、ショーン・ペン、ジョン・イラ・パーマー、ジョン・ウィルダーマス、マーク・ノルティング 製作総指揮:マーティン・モスコウィック、クリストフ・ムーラー 脚本:モリッツ・ビンダー、ティム・フェールバウム、アレックス・デビッド 撮影:マルクス・フェルデナー 美術:ジュリアン・R・ワグナー 衣装:レオニ^・ザイカン 編集:ハンスエルク・バイスブリッヒ 音楽:ロレンツ・ダンゲル キャスティング:ナンシー・フォイ、シモーネ・ベア、ルシンダ・サイソン
出演:ピーター・サースガード、ジョン・マガロ、レオニー・ベネシュ、ベン・チャップリン、ジヌディーヌ・スアレム、ジョージナ・リッチ、コーリイ・ジョンソン、マーカス・ラザフォード、ダニエル・アデオスン、ベンジャミン・ウォーカー
映画『セプテンバー5』あらすじ
1972年のミュンヘンオリンピック。ABCテレビのスポーツ中継部のクルーは、アスリートたちがベストを尽くす感動的な競技の放映を順調にこなしていた。
オリンピックも二週目に突入した深夜のシフト開始時、クルーは銃声が鳴り響くのを聞いた。彼らは、通訳として雇ったドイツ人マリアンヌの助けを借り、警察の無線からテロ攻撃が発生している事実を掴む。
パレスチナ武装組織「黒い九月」が選手村に侵入し、イスラエル選手団の2人を殺害、9人を人質に籠城したのだ。彼らは人質との交換で数百人のパレスチナ囚人の解放を要求していた。
新進気鋭のプロデューサー、ジェフリー・メイソンは、すぐにクルーを組織し、数メートル先で起こっている人質事件の取材に切り替えて自ら生中継の指揮を執り始めた。メイソンと上司のルーン・アーレッジは、2人のスタッフを選手村に派遣することに成功し、電話でやり取りを行った。こうしてテロの模様は全世界に放映されることとなった。
しばらくして本社から報道局に任せるようにという声が届くがアーレッジは「これは私たちの事件だ」と抵抗し、自分たちの手で中継を続けた。
地元警察のミスが重なり、事態は悪化の道をたどる。カメラは、テロリストたちが人質のひとりを盾にし、バルコニーから政治家や警察と交渉している姿を捉えた。
しかし、すぐにクルーは選手村の各部屋にテレビがあることを知り、テロリストたちが番組を視聴している可能性に気づく。
いきなり警察がABCのコントロールルームに押し入って来た。銃を突きつけて放送を止めるよう脅すが、メイソンは拒否して彼らを追いかえす。
テロリストは人質とともに軍用空港に移送されることとなり、メイソンはマリアンヌを取材に同行させた。激しい銃撃戦が続いているという報告が届くが、情報が錯綜していて、何が真実なのか判然としない。そんな中、人質が全員解放されたという報告が飛び込んで来るが・・・。
映画『セプテンバー5』感想と解説
1972年9月5日の出来事を題材にした映画はスティーブン・スピルバーグ監督の2005年の映画『ミュンヘン』や、ケヴィン・マクドナルド監督のドキュメンタリー映画『ブラックセプテンバー ミュンヘン・テロ事件の真実』(1999)が知られているが、他にもいくつものドキュメンタリー映画が作られている。しかし、本作は、どの作品とも違い、現場に居合わせたテレビクルーがいかに事件を報道したかということにスポットライトを当てている。
オリンピックで繰り広げられる競技を取材するためにミュンヘンに滞在していたABCテレビスポーツ部のクルー(現地にいる唯一のアメリカのテレビクルー)は、恐ろしいテロ事件の発生を知るや、限られた設備と取材範囲の中、自分たちのスキルを駆使して、目の前で何が起こっているのかをありのまま届けようと奮闘する。その様子がノンストップで綴られて行く。
彼らは、普段、ニュース報道に手慣れているスタッフではなくスポーツ報道のスタッフであり、また、突然の出来事ゆえに当然ながら、なんの打ち合わせも準備もできていない。そんな中、彼らは、何を放送すべきか、どのように伝えるべきか、と常に葛藤しながら、分刻みで変わっていく状況に対応していかなければならない。こうした困難に満ちた状況が、緊張感たっぷりに描かれている。
舞台のほとんどが空調の効いていないABCニュースのコントロールルームで展開する。ほぼ密室に近い環境でクルーたちが感じる息苦しさを、観客も同時に体験させられることになる。事件の結末がすでにわかっているにもかかわらず緊張感は損なわれず、私たちもまた、クルーたちと同様に、違った結末を思わず願ってしまう。
ホテルのバルコニーから顔をのぞかせる覆面のテロリストの映像など、本物のアーカイブ映像を取り入れたハンスエルク・バイスブリッヒによる編集が目をひく。役者が演じている映像と本物のニュース映像を違和感なくするために、デジタルカメラにヴィンテージレンズをとりつけて撮影されたとも聞く。カメラも常に現場の誰かの視点のように鮮やかに動き、臨場感あふれる映像を生み出している。
クルーは途中で、この放送をテロリストが見ている可能性に気づき、しばし絶句する。それがどのような影響を与えるのか。人質の生命を脅かすことにならないか。テロリストに知らせるべきでない情報を与えていないか。さらに、もし、カメラの前で殺人が行われたとしたら、それを全世界に流してもいいのか、クルーは報道がもたらす倫理的グレーゾーンに直面する。
彼らクルーの行動は、テロの生中継という世界で初めての報道を行ったことで、ジャーナリズムにおけるひとつの歴史となった。エンディングの際、明らかにされたように、このニュース報道を視聴したのは9 億人に上る。
だが、それはまた、近年の人間性を無視したセンセーショナルな報道合戦を生み出すきっかけになったともいえるのではないか。
本作は、一日の出来事を95分に濃縮した非常にスリリングな社会派エンターティンメントに仕上がっているが、メイソンやその仲間をヒーローとしては描いていない。映画の根底にはこうしたメディア報道への真摯な問いかけ、考察が存在しているのだ。
メイソンに扮したジョン・マガロは『パスト ライブス/再会』の夫役が記憶に新しいが、本作では大きな決断を瞬時に取らなければいけない重要な役割を担った主人公を、神経質で誠実な側面と、エネルギッシュな側面の両方を見せながら颯爽と演じている。
また、ABCのクルーは皆、ドイツ語ができないため、ドイツ人通訳者としてクルーに雇われたマリアンヌという女性がかかせない存在として描かれているのだが、『ありふれた教室』で知られるレオニー・ベネシュが、きりりと引き締まった演技を見せており、とりわけ強く印象に残った。
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