ニューヨークで暮らす従兄弟のデヴィッドとベンジーは、子供時代は兄弟同然に過ごしていたが、今は疎遠になっていた。亡くなった祖母の遺言によって久しぶりに再会した2人は、彼女の故郷であるポーランドを訪れる。祖母はアウシュビッツ強制収容所の生存者だった―。
映画『リアル・ペイン 心の旅』は、『僕らの世界が交わるまで』で監督デビューを果たした俳優ジェシー・アイゼンバーグが監督・脚本・製作・主演を務めた作品で、ジェシー・アイゼンバーグが主役のデヴィッドを、キーラン・カルキンがデヴィッドの従弟のベンジーを演じている。
第40回サンダンス映画祭でウォルド・ソルト脚本賞を受賞。第97回アカデミー賞では脚本賞と助演男優賞(キーラン・カルキン)にノミネートされた。
共演はウィル・シャープ、ジェニファー・グレイら。
目次
映画『リアル・ペイン 心の旅』作品情報
2024年製作/90分/PG12/アメリカ映画/原題:A Real Pain
監督・脚本:ジェシー・アイゼンバーグ 製作:エバ・プシュチンスカ、ジェニファー・セムラー、ジェシー・アイゼンバーグ、エマ・ストーン、アリ・ハーティング、デイブ・マッカリー 製作総指揮:ケビン・ケリー、マイケル・ブルーム、ジェニファー・ウェスティン、ライアン・ヘラー 撮影:ミハウ・ディメク 美術:メラ・メラク 衣装:マウゴジャータ・フダラ、編集:ロバート・ナッソー キャスティング:ジェシカ・ケリー
出演:ジェシー・アイゼンバーグ、キーラン・カルキン、ウィル・シャープ、ジェニファー・グレイ、カート・エジアイアワン、ライザ・サドビ、ダニエル・オレスケス
『風の歌をキケロ』 ―マービン・ゲイのレコードの射程 ―: 『風の歌を聴け』論
映画『リアル・ペイン 心の旅』あらすじ
ユダヤ系ポーランド人のデヴィッドは妻とまだ幼い息子と共にニューヨークで暮らしているweb広告クリエイターだ。
その日の朝、彼は空港で従弟のベンジーと待ち合わせをしていた。
ベンジーとは子供時代、兄弟同然に育った仲だったが、最近は疎遠になっていた。ベンジーは半年前に自殺未遂を起こしており、デヴィッドは自分が彼を護らなければという使命感でいっぱいだった。
無事、空港で落ち合った2人は、亡くなった祖母の遺言に従い、彼女のルーツを辿るためポーランドに出発した。
現地に着いた2人は他のツアー客と共に、ワルシャワのゲットー英雄記念碑やワルシャワ蜂起記念碑、ルブリンの旧ユダヤ人墓地、マイダネク強制収容所などを訪れる。2人の祖母は強制収容所の生存者だった。
ベンジーは自分たちが列車のファーストクラスで移動していることに疑問を呈するなど、いたるところで感情を爆発させ、デヴィッドは他のツアー参加者に頭を下げてばかりだ。
だが、最初は戸惑っていたほかの参加者たちも、次第にベンジーを受け入れ、むしろ、デヴィッドのほうが疎外感を覚え始める。
全く正反対の性格の従兄同士。 大好きだけど憎い。デヴィッドはベンジーに対するそんな複雑な感情を思わずみんなの前で吐露してしまう。
ツアーが終わり、メンバーと別れたデヴィッドとベンジーは、かつて祖母が暮らしていた家へと向かった・・・。
映画『リアル・ペイン 心の旅』感想と解説
(ネタバレ/ラストに言及しています。ご注意ください。)
映画の冒頭、カメラは大勢の人で賑わう空港のロビーを長回しで移動していく。椅子と椅子の、人と人の間を抜けるようにカメラが直角に曲がって進むと、そこにはキーラン・カルキン扮するベンジーがひょうひょうとした風情で座っている。
一方、ジェシー・アイゼンバーグ扮するデヴィッドは、せわしなくニューヨークの街を移動している。タクシーが渋滞に巻き込まれ、遅れやしないかと彼は多少イライラしている。ベンジーにこまめに現在の状況をメールするが、返信はない。
この冒頭から、早くもデヴィッドとベンジーという従兄同士が、まったく違ったキャラクターであることが伝わってくる。デヴィッドは都会に住む現代人らしく、時間に追われており、ベンジーにこまめに状況を伝える気遣いを見せるが、それは彼の律儀さであると同時に神経質さの顕れといってもいいだろう。一方、ベンジーはデヴイッドが予想することもできないほど早く空港に来ていて、のんびり人間観察をしている。デヴィッドからの連絡に気づかないのは普段からあまり他人から連絡を受けることがないからだろう。
彼らは幼いころ、兄弟のように接して仲睦まじかったらしいのだが、やがて距離ができて、今では疎遠になってしまっているようだ。落ち合うまでの二人の行動を見るとそれも十分頷ける。
感情をストレートに表し、咄嗟に思いもよらぬ行動をとるベンジーと、常識的で周りに気を配ることの多いデヴィッド。亡くなった祖母が二人に遺した遺言は、彼女の故郷ポーランドを二人で訪ねるというものだった。こうして正反対のキャラクターの二人が旅に出るロードムービーが始まる。
ベンジーはラフな言葉遣いで、遠慮することなく他者の懐にずかずかと入っていくので、初対面の他のツアー客を面喰らわせ、そのたびに、デヴィッドは頭を下げなくてはならない。
物語は一見、奔放な問題児に真面目人間が振り回されるよくあるコメディを連想させるが、ホロコーストという歴史的な背景が作品に重みを与えており、過去の悲劇と記憶の重要性が、現在の二人の個人的で些細な日常と交錯し合い、彼らの心の揺れを見事に浮かび上がらせる。彼らのポーランドツアーは彼らのユダヤ系ファミリーの歴史を訪ねるもので、祖母はアウシュビッツ強制収容所の生存者だったのだ。
ベンジーは、ツアーグループが列車のファーストクラスで移動している際、一世紀前に先祖は虐殺されるために列車に詰め込まれたというのに自分たちはこれでいいのかと激怒して、別の車両に移ってしまう。
ベンジーの遠慮のない態度は人々を戸惑わせ、時にはむっとさせもするが、その本質をついた率直な指摘は、ツアー客それぞれの心を動かす。彼らは自分たちが表面的な理解だけで済ませていたことに気づくのだ。彼らはベンジーを受け入れるだけでなく、彼に愛着さえ持つようになる。そもそもベンジーは愉快なやつで人たらしの面があるのだ。
その一方で、まっとうで気遣いのひとであったデヴィッドが、ツアー客の中で浮き始める。彼は思う。いつも、こうだ、毎度毎度、ベンジーに振り回されて、いつの間にか自分だけが取り残されてしまう、こんなに気遣っているのにと。デヴィッドが「愛しているのに憎い」と思わずほかのツアー客の前で、ベンジーに対する複雑な心情を吐露してしまうシーンは実にいたたまれないもので(彼の身上を真に理解するには彼らは付き合いが浅すぎる!)、ジェシー・アイゼンバーグが、泣き笑いに満ちた懇親の演技をみせていて素晴らしい。
ツアーの一行が強制収容所を訪れるシーンはとりわけ印象深い。祖母や先祖の苦しみを彼らが直に感じ取る場面だ。表情をとらえる大げさなアップもなく、淡々と、そこにあるものが静かに提示される。映画全編に流れるショパンの曲もここではなりを潜めている。誰も何も言わない。帰りのバスの中でベンジーがひたすら泣いている姿も、引きの映像でとらえられているだけだ。だが、だからこそ、観る者は彼らがいかに大きな衝撃を受けたのかを実感するのだ。
そして、自由人のように見えるベンジーが、実際は感受性が強すぎるほど強く、繊細過ぎるほど繊細な人物であるがゆえにこの険しい世の中でうまくやっていけないことが次第に見えてくる。奔放でいて極めて鋭敏なベンジーをキーラン・カルキンが最高の演技で表現している。
2人は最終的にツアー客と別れ、祖母の遺言通り、生前の彼女の家を訪ねる。そこにはもう祖母のかつての姿を想像させるものは何もなく、彼らは近所の人にとってただの不審者だ。だが、2人に歴史を歩ませるとともに、現在の2人の関係をもう一度見直す旅をなぜ祖母が遺言として実行させたのか。今、彼らはそれを理解しているだろう。
旅が終わり、名残惜しそうに別れを告げる2人。デヴィッドはニューヨークの妻子のもとへ帰り、ベンジーは冒頭と同じように、空港のロビーに腰かけ、好奇心のまなざしであたりを見回している。映画は空港で始まり、空港で追わる。
ジェシー・アイゼンバーグは初の長編映画監督作品『僕らの世界が交わるまで』を88分というコンパクトな時間にまとめたが、本作も、長尺な作品が増える中、わずか90分という上映時間で、軽やかでありつつ濃密で、シリアスでありながらもコミカルで、心にジワリと染み込む宝石のような作品を完成させた。
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