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映画『人生劇場 飛車角』あらすじ・感想/鶴田浩二、高倉健主演の「東映やくざ路線」の先駆的作品を考察する

映画『人生劇場 飛車角』は、昭和8年(1933年)に発表された尾崎士郎の『人生劇場 残侠篇』を原作に、沢島忠が監督を務めた1963年制作の作品だ。

 

これまでの『人生劇場』の映画化作品とは違い、本作は、小説では脇役だったやくざの飛車角が主人公として描かれている。

映画のヒットを受け、2か月後には『人生劇場 続飛車角』が制作された。本作は「東映やくざ路線」の先鞭に位置づけられている作品なのだ。

 

鶴田浩二高倉健という同じ配役で5年後にはリメイク作品『人生劇場 飛車角と吉良常』が作られている。  

 

目次

映画『人生劇場 飛車角』作品情報

『人生劇場 飛車角』東映

1963年製作/94分/東映(東京)

原作:尾崎士郎 監督:沢島忠 脚色:直居欽哉 撮影:藤井静 美術:進藤誠吾 音楽:佐藤勝 録音:大谷政信 照明:川崎保之丞 編集:田中修 スチル:田中牧夫

出演:鶴田浩二佐久間良子月形龍之介高倉健、梅宮辰夫、加藤嘉、村田英雄、曽根晴美、久地明、佐藤晟也、沢彰謙、水島道太郎、潮健児、沖竜次、日尾孝司、楠侑子、本間千代子、田中春男、山本麟一、岡部正純、不忍郷子、北山達也、関山浩司、相原昇三郎、伊藤慶子、志摩栄

 

映画『人生劇場 飛車角』あらすじ(ネタバレあり)

横浜の遊女だったおとよ(佐久間良子)と逃げてきた飛車角(鶴田浩二)は、小金親分の計らいで深川の裏町に二人で隠れ住んでいた。

ある日、飛車角は小金親分への義理を果たすために、おとよが止めるのも聞かず出かけていき、親分の代わりに敵の組長を殺害する。

警察に追われた飛車角は民家に逃げ、そこの主人に水を乞うと主人は彼を家にあげ匿う。男はかつて侠客だった吉良常(月形龍之介)だった。  

 

無事に戻って来た飛車角を見ておとよは喜ぶが、それも束の間、飛車角は「自首をするので5年か7年待っていてくれ」と言う。

おとよは自首などしないでくれと泣いて頼むが、飛車角の決心は固かった。

 

飛車角が前橋刑務所にいる間に、黄金親分が暗殺され、おとよは奈良平の仕業であることに気づく。

ひとり、料理屋で働いているところに奈良平とその子分たちがやってきて、おとよを連れ去ろうとするが、車夫(高倉健)が大暴れしておとよを救ってくれる。

熱を出して倒れたおとよを連れ帰った車夫は彼女を看病し、一緒に暮らすうちに彼女に惚れて、手を出してしまう。

実はこの男、宮川という名で元小金組のものだった。

後日おとよが飛車角の女だったと知った宮川は呆然とし、自分を責めるが、おとよの愛だけは諦められない。

おとよは自ら遊郭に身を売るが、満州に連れて行かれそうになった時、宮川が現れ彼女を引き止める。

 

恩赦を受け3年で出られることになった飛車角は出所の日に吉良常から小金親分が殺されたことと、おとよと宮川のことを告げられる。

「おとよを諦めることはできないか?」と吉良常に問われた飛車角はおとよに惚れてるんだと男泣きするが、吉良常に従って彼の地元、遠州吉良港で働き始める。

 

ある日、おとよと宮川が訪ねてきて、宮川は「殴るでもなんでもしてくれ」と泣いて詫びを入れるが、「親分の敵は誰なのか、まだわからないのか」と飛車角は問い、「いくら調べてもわからない」と応える宮川たちに背中を見せて行ってしまう。

その姿を見ながらおとよは敵は奈良平だと打ち明ける。

 

しばらくして、飛車角のもとに、宮川の死の知らせが届いた。彼は小金親分の敵を討とうと単身奈良平一家に殴り込み殺されてしまったのだ。

飛車角は敵を討つために東京へ戻るが、彼が戻ったことはすでに知れ渡っていた。

彼の前におとよが表れ、宮川が死んだのは自分のせいだと述べ、飛車角の行く手を阻もうとする。が、土手の上には奈良平一家が既に待ち受けていた。

次々坂を下り襲ってくる手下たちを斬って進む飛車角。傷を負い、よろめきながらも、飛車角はひたすら前へ前へと進んで行くのだった。  

 

映画『人生劇場 飛車角』感想・評価

東映やくざ路線”の先鞭となった作品として知られている本作だが、アクションものというよりはむしろ大メロドラマだ。

飛車角も宮川もおとよに芯から惚れているのだが、如何せん、彼らはヤクザ。

世話になったヤクザの親分に対して「恩」や「義理」を返すために、愛する女を守りきれない男たちなのだ。

「義理を重んじる」、「筋を通す」というのはヤクザ映画における日本の「美徳」として解釈されてきたと思うが、本作の場合、主人公たちはそれらにがんじがらめになっており、そのために女との約束を反故してしまってばかりだ。

 

遊郭から逃げ出すのを怖がるおとよを説得して連れてきたにも関わらず、簡単にひとりにしてしまう。おとよの立場として、どれほど心細かったことだろう。

また、遠州吉良港に身をうずめると言う言葉も「東京に行かなくてはならないんだ」と簡単に撤回してしまう。

親分や仲間には筋を通すのに、気質の人間とは約束も守れない。

それが渡世者の宿命なら、やはりヤクザに本当の恋や愛は望めないのだ。そのことを痛切に感じさせる一編だった。

 

その後、確立されていく「東映仁侠映画」の美学に慣れ親しんだ者にとっては、本作はいささか違和感を覚えるものになっている。それはヤクザ者の生き方が非常にリアルに描かれているせいだろう。

 

5年後、本作のリメイク版『人生劇場 飛車角と吉良常』が制作された。  

 

【比較】映画『人生劇場 飛車角と吉良常』を観る

『人生劇場 飛車角と吉良常』大映

尾崎士郎の『人生劇場 残侠編』を原作とした沢島忠の『人生劇場 飛車角』のリメイク作品である『人生劇場 飛車角と吉良常』は、内田吐夢監督の唯一の任侠映画だ。

『関東流れ者』、『日本侠客伝 花と龍 』などの作品で知られる棚田吾郎の脚色は『人生劇場 飛車角』の直居欽哉のそれと比べると無理なく整理されていると感じる。

鶴田浩二が自首するはめになるのは、おとよ(今回は藤純子が扮している)を騙して連れ去った奈良平を行きがかり上殺めてしまったためで、偶然により運命が変わっていくというストーリーになっている。物語に入っていきやすいし、主人公に対する好感度も『人生劇場 飛車角』とはずいぶんと違っている。

鶴田浩二高倉健以外は配役は変わっていて、吉良常は前回の月形龍之介もよかったが、今回の辰巳柳太郎もとてもいい。

 

終盤の高倉健の殴り込み場面、最後の鶴田の殺気溢れる敵討ちなど、決闘シーンは迫力満点である。

高倉健が殴り込みをする際は、カメラは屋敷前に固定されたままで、最初、声と刀の音だけが響いている。が、いきなり障子が破れ人が飛び出てくると、わらわらと敵一家と高倉健が姿を現す場面など実に素晴らしい。

それと相対するように、鶴田の場面ではカメラはともに室内に入り激しい殺陣を見せている。

登場人物に対して、素直に感情移入出来ている分、こうした見せ場もまっすぐに受け止めることが出来るといえるだろう。

 

二作を見比べることで「東映やくざ路線」、「東映仁侠映画」がどのような変遷をたどっていったのかが、理解できるのではないか。  

 

『人生劇場 飛車角と吉良常』

1968年/109分/東映(東京)

監督:内田吐夢 脚本:棚田吾郎 原作:尾崎士郎

出演:鶴田浩二、高倉 健、若山富三郎、藤 純子、松方弘樹辰巳柳太郎、中村竹弥、大木 実、天津 敏、遠藤辰雄、左 幸子