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映画『生きててごめんなさい』あらすじと感想/黒羽麻璃央・穂志もえかW主演で描く「生きづらさ」のドラマに漂うもの

『新聞記者』(2019)、『余命10年』などの藤井道人が企画・プロデュースを務め、現代の日本の若者たちが抱える「生きづらさ」に焦点を当てた映画『生きててごめんなさい』

(C)2023 ikigome Film Partners

藤井監督の下で多くの作品に携わり、綾野剛主演ドラマ『アバランチ』などを手がけた新鋭・山口健が監督を務めた。

 

2.5次元ミュージカル出身の黒羽麻璃央と『少女邂逅』(2017)、『街の上で』(2019)の穂志もえかが主演のふたりを演じている。  

 

目次

 

映画『生きててごめんなさい』の作品情報

(C)2023 ikigome Film Partners

2023年製作/107分/日本/

監督:山口健人 脚本:山口建人、山科亜於良、企画・プロデュース:藤井直人、エグゼクティブプロデューサー:鈴木祐介 プロデューサー:河野博明 雨無麻友子 撮影:石塚将巳 照明:水瀬貴寛 録音:岡本立洋 美術監督相馬直樹    美術:中島明日香 小道具:福田弥生 助監督:渡邉裕也 キャスティングプロデューサー:高柳亮博

出演;黒羽麻璃央、穂志もえか。松井玲奈安井順平冨手麻妙、長村航希、八木アリサ飯島寛騎

 

映画『生きててごめんなさい』あらすじ

(C)2023 ikigome Film Partners

出版社の編集部で働く園⽥修⼀は、純文学が好きで小説家になる夢を持っていた。

 

ある日、修一は居酒屋でアルバイト店員として働いていた清川莉奈と出会う。

 

大失敗した上に、店の中を逃げ回り、足を挫いた彼女を修一がおぶって家まで送り届けたことがきっかけでふたりは付き合い出し、一緒に暮らし始めた。

 

何をやってもうまくいかない莉奈は、いくつもアルバイトをクビになり、家で独りで過ごすことが多かった。

 

ある⽇、修⼀は⾼校の先輩で⼤⼿出版社の編集者・相澤今⽇⼦と偶然出会う。

 

今日子は、修一が憧れている作家を担当していた。その作家が審査員を務める文学賞に応募するつもりだと言うと、今日子は応募する前に一度読ませてほしいと言う。

学生時代から、修一の才能を認めていたという彼女の言葉に修一は舞い上がる。

 

そんな折、出版社の同僚が、作家の原稿を無くすという失態を犯し、その埋め合わせが修一に回って来た。

 

文芸担当だった修一は実用書の経験はない。しかし、編集長に逆らうわけにもいかず、売れっ⼦コメンテーター⻄川洋⼀を担当することになるが、最初の打ち合わせから戸惑うことばかり。

 

何よりも⻄川の、編集担当に原稿をすべて書かせるやり⽅に修一はなかなか対応できない。

 

最悪なのは、西川に原稿を見せるたびにダメ出しをくらい、何度も何度も書き直させられるので、自分の小説に割く時間がまったく取れなくなってしまったことだ。

 

ある日、資料を忘れたことを西川に咎められて、修一は莉奈に電話し、資料を届けてくれるよう頼む。  

 

会社の前まで来たら連絡してと伝えたのに、オフィスまでやってきた莉奈を西川がじっと見ているので、修一は咄嗟に莉奈を編集部の新人だと紹介する。

 

莉奈を気に入った西川は、莉奈も打ち合わせに加わるようにと主張する。西川の頼みを断れない編集長は莉奈に名刺を渡し、莉奈は出版社の一員として働くことになった。

 

相変わらずダメ出しばかりで、小説を書く時間がとれない修一はいらいらして莉奈に当たることが増えていった。

 

西川からアシスタントにならないかと提案されたと語る莉奈にうまくいくわけがないと応える修一。

いつしか喧嘩が絶えなくなり、ついに莉奈は荷物をまとめ、家を出てしまう・・・。

 

映画『生きててごめんなさい』感想と解説

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穂志もえか扮する莉奈は何をやってもうまくいかず、両親からも見放され、友人もいない孤独な女性。

一方、黒羽麻璃央演じる修一は、作家を目指しながら出版社で編集者として働いているが、編集長や担当作家からパワハラめいた扱いを受け続けている。

 

現代の若者たちの「息苦しさ」が切実に描かれているが、恋愛映画として観るとふたりの関係はいささかいびつだ。

 

修一は、自分が彼女を守らないといけないという思いを持ちながら、無意識下で優位性を感じている。だから彼女にチャンスが巡ってきても素直に応援することができない。

 

「どうして私と暮らしているの?」と問われると「かわいそうだから」と答えて彼女を泣かせている。あとで否定しているが、本音ととらえられてもおかしくない発言だ。

 

また、「ダメ人間」という言葉が劇中、たびたび出てくるが、これは本作の重要なキーワードである。

誰もが最初は莉奈がそれにあたるように感じるだろう。ところが、次第に彼女が最もまっとうに見えてくるのだ。

 

「ペットショップ」産業というものの闇の部分に映画は言及している。皆、わかっていてもそこに目をつぶっている。暗黙の了解という形で考えないようにしている。

 

でも、莉奈はそうではない。構造の全体的な問題からすれば彼女がとった行動は取るに足りないものなのかもしれないが、誰もができることではない行動だし、彼女が救って来た一つの命をまた元のペットショップに戻す修一の行動はやはりどこか間違っている(もっとも大勢の人間は同じような選択をするだろう)。

 

そんなふたりの関係が、ある人物をきっかけに逆転していくところに本作の面白さがある。

 

莉奈はコメンテーターの西川に才能を見いだされ、逆に修一は自分のカラーを出すことにこだわるあまり、叱咤され続け、自分を見失っていく。

 

安井順平が演じる西川洋一というキャラクターは、いかにも今風の知識人で、鼻持ちならぬ雰囲気があるが、莉奈にとっては初めて自分を評価してくれた人だし、修一にとっては理解不能パワハラ人間でしかない。同じ人物が、人によってまったく違った存在になるのだ。  

 

これまで莉奈は、理解者に恵まれず、自分とは程遠い、違ったタイプの人物になろうとし続けて失敗して来たことがわかる。環境が変わったことで彼女の立ち位置は一変する。

 

彼女が見いだされる原因になったものが提示される場面には、あっと叫びそうになってしまった。なんと巧みな構成だろう。

本作は「才能」というものを巡る残酷な物語ともいえるだろう。莉奈の持つユニークさに修一は気づけなかったのだ。

 

映画はこのようにふたりの差異を丁寧に描いていくが、「不器用」にしか生きられないという両者の共通点も見出している。

 

その「不器用」さが限りなく愛おしく感じられるのは、この厳しい、胸をしめつけられるような痛ましい物語にもかかわらず、その中に漂う人間の可笑しみを温かく包み込むように描いているからだろう。

 

何しろ、冒頭、二人が初めて出会う際、穂志もえか扮する莉奈は、失敗に失敗を重ねた上、怒り出した客に蟹の足を投げつけ、店内を逃げ回るという大立ち回りを演じるのだ。ここだけならスラップスティックコメディーと言ってもおかしくないくらいである

 

このように作品に仄かに流れるユーモアは、黒羽麻璃央と穂志もえかというふたりの俳優が醸し出す持ち味でもあるだろう。

 

シリアス一辺倒になってしまいそうな題材に、温かみと可笑しみを漂わせられるのは、人間への信頼の証だ。

ペットショップに戻された犬が、ちゃんと再び莉奈のところに身を寄せている描写がさりげなくはさまれているのもいい。

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