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映画『イニシェリン島の精霊』あらすじ・感想/ アイルランドの孤島を舞台にマーティン・マクドナーが描く絶縁から始まる諍いの果て

主演のフランシス・マクドーマンドアカデミー賞主演女優賞をもたらした映画『スリー・ビルボード』から5年。マーティン・マクドナー監督が自らのルーツであるアイルランドを舞台に撮った映画『イニシェリン島の精霊』

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主人公を演じるのは『アフター・ヤン』(2022)、『13人の命』(2022)、『Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ』(2017)などのコリン・ファース

友人役を「ハリー・ポッター」シリーズのマッド-アイ・ムーディー役で知られるブレンダン・グリーソンが演じている。

ふたりはマーティン・マクドナー監督の初長編監督作『ヒットマンズ・レクイエム』(2008)以来の共演となった。

 

親友から突然絶縁を言い渡された男は、そのことが受け入れられず、なんとか元の仲に戻したいと願うが、二人の関係はこじれにこじれ、混乱と狂気の渦へと突き進んでいく。

第95回アカデミー賞(2023)では作品賞をはじめ9部門にノミネートされた。  

 

目次

 

映画『イニシェリン島の精霊』作品情報

(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.

2022年製作/114分/PG12/イギリス/原題:The Banshees of Inisherin

監督・脚本:マーティン・マクドナー 撮影:ベン・デイビス 美術:マーク・ティルデスリー 衣装:イマー・ニー・バルドウニグ 編集:ミッケル・E・G・ニルソン 音楽:カーター・バーウェル

出演:コリン・ファレルブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン、ゲイリー・ライドン、シーラ・フリットン、パット・ショート

 

映画『イニシェリン島の精霊』あらすじ

(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.

1923年、アイルランドの西海岸沖にある孤島イニシェリン島。

 

住民全員が顔見知りのこの小さな島で暮らすパードリックは、いつものようにパブに行くため、長年の友人コルムを誘いに彼の家までやって来た。しかし、彼は家から出てこない。

 

パブの店主はパードリックがひとりでやって来たことに驚く。二人はいつも一緒だったからだ。

 

これは何か理由があると、パードリックはもう一度コルムの家を訪ねるが、なんと彼から絶縁を言い渡されてしまう。

 

パードリックが彼に何かをしたからではないらしい。実際、パードリックは気のいい優しい男だった。

 

だが、コルムはパードリックの話は退屈だと言い、お前とは付き合わず自分のやりたいことに時間を使うと一方的に宣言する。

 

その宣言通り、コルムは音楽を専攻する学生たちとパブで演奏会を開き、作曲を始めた。パブでパードリックと一緒になっても会釈すらしない。

 

ショックを受けたパードリックが妹のシボーンに相談すると、妹はこの島の男たちはみんな退屈な人ばかりだと言う。

 

また、風変わりな若い隣人は、コルムはパードリックに少しは生き方を変えてみろと言っているのではないかと語る。

 

仲直りの可能性はあると考えたパードリックはコルムの前に何度も顔を出すが、コルムは頑なに彼を拒絶。

 

ついには、これ以上関わろうとするなら自分の指を一本ずつ切り落とすと宣言する。

 

ふたりの仲たがいはたちまち島の住民たちに知られるところとなり、不穏な空気が漂い始める。  

 

パードリックは、コルムは鬱なのではないかと考え神父に相談するが、そのことがまたコルムを苛立たせる。

 

パードリックがコルムに話しかけたことでコルムは本当に指を一本切り落とし、それをパードリックの家のドアに向かって投げつけた。フィドル弾きの彼にとって指を失うことは大変なことだというのに。

 

指を箱に入れ、返しに行こうとするパードリックに「兄さんはバカなの!?」とシボーンは思わず叫び、代わりに自分がコルムを訪ねる。

 

コルムはシボーンに、島で一番賢い君ならわかるだろうと語り、今度パードリックが自分を煩わせたら残りの4本を全部切り落とすと告げる・・・。

 

映画『イニシェリン島の精霊』感想と評価

(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.

「イニシェリン島」というのは実在しない架空の島だが、アイルランド島の西、ゴールウェイ湾に浮かぶアラン諸島の一番大きな島、イニシュモア島でロケの大半が行われた。

 

映画のオープニングには「ドゥーンエンガス」と呼ばれる断崖絶壁の上に築かれた砦が映しだされる。終盤近くにもコリン・ファース扮するパードリックがここに立って手を降っているシーンがあるが、その独特の景観が作品全体に重みと深みをもたらしている。

 

一方、家の裏手からカメラがするすると上昇したかと思うと、茅葺き屋根まであがって、屋根越しに、家の正面玄関側に沿った道を歩くパードリックをとらえるという愉快なショットも登場する。牛やポニーなどの動物の姿が見え、緑の風景が広がる穏やかな光景だ。

 

このふたつの印象の異なる風景は、本作が喜劇と悲劇の両面を持っていることと重なってくる。  

 

時は1923年。本土では内戦が繰り広げられている。しかし、島の住民はほとんど内戦には関心がない。パードリックも「せいぜい頑張れ。なんの戦いか知らんが」と本土の方を見てつぶやくだけだ。

 

そんなパードリックは、町の雑貨屋に牛のミルクを納めて生計を立てている。午後2時になるともうすることはなくなり、親友のコルム(ブレンダン・グリーソン)と一緒にパブに行き黒ビールを注文して過ごす毎日だ。

 

ところがある日、突然コルムから絶縁されてしまう。理由もよくわからない。パードリックは混乱し、なんとか元の仲に戻りたいと願うが、彼がそう望めば望むほど、事態は悪化していく。

 

そうした過程を映画はじっくりと実にわかりやすく描いている。観ている我々がコルムの立場も、パードリックの立場も十分理解できるように、と。

 

芸術家気質のコルムと、ずっと島で暮らしていて特に趣味もない気のいい男であるパードリックでは、もともとタイプが違い過ぎると言えよう。

もっと大きな町に住んでいれば、いつの間にか疎遠になっていた二人だったろう。しかし、この小さな島では自然に離れていくことなど出来るわけがない。どこに行っても鉢合わせするのだから。

 

コルムは自分の世界を少なからず犠牲にしてパードリックと付き合ってきたと想像できる。ある日ふと気づき、このまま年老いてしまいたくないと考えた気持ちも理解できなくはない。

 

一方のパードリックは、コルムにひどいことは何一つしていないので、戸惑うのも当然だ。

彼が悪意のない優しい性格であることはペットのロバを始めとする動物に対する態度でもわかる。それなのに「退屈」な人間だからという理由で親友に嫌われるだなんて、正直恋人と別れるよりも耐え難いことではなかろうか。

 

ほんの少しでいいからコルムに思いやりがあり、ほんの少しハードリックに冷静さと分別があれば、事態は変わっていたかもしれない。

 

だが、彼らの心はすれ違い、意地になり、ついに怒りと憎しみをむき出しにし始める。

 

他人事のようであった本土の「内戦」に関してもパードリックは「理解できる」と考えるようになる。

 

そう、この男性2人の諍いは、本土の内戦とリンクするものとして描かれているのだ。

 

パードリックもコルムもどちらも決して「悪人」ではない。彼らのことを知っている島の人々だって、このふたりがこんなふうになろうとは思いもよらなかっただろう。

 

だが、ささいなきっかけで、諍いは起こり、それはどんどん大きく膨れ上がり、憎しみとなって爆発する。これこそが「戦争」の正体だとマーティン・マクドナー監督は語っているのだ。

 

憎しみの炎は文字通り、劇中、家を焼く炎として画面に刻まれる。『スリー・ビルボード』でもフランシス・マクドーマンドが、娘が惨殺された事件の捜査をまともに行わないという怒りから警察署に火炎瓶を投げ込み炎上させたが、本作でも美しくシンプルな石造りの家は放火され、窓から火を噴き上げる。誰もが認める「やさしい」人物がこんなにも変わってしまうのだ。  

 

暴力の象徴のような巡査(ゲイリー・ライドン)、風変わりな言動のせいで島の連中から忌み嫌われ、父からは暴力を受けているその息子(バリー・コーガン)、死を告げる黒衣の老女(シーラ・フリットン)といった人物たちが絡み、牧歌的な景色の中に潜む島の特異性を浮かび上がらせる。

 

雑貨屋の女将は意地が悪く、勝手にパードリックの妹シボーン(ケリー・コンドン)宛に来た手紙の封をはがして読み、そのことを隠そうともしないし、教会の司祭も聖職者の品位を欠いているように見える。

 

シボーンは、本の好きな聡明な女性で、長い間葛藤し続けた末、この島を出ていく決断をする。

 

片手の指を失うというフィドル奏者としては致命的な行為をしてまでも、パードリックを遠ざけたかったコルムに、島を出るという選択はなかったのだろうか。

 

彼の家に飾られた民芸品の数々を観ると、彼は島以外の世界を知っているように思える。

 

パードリックのような男が島を出ていかないのはわかる。世話をする動物がいるというのが一番の理由だが、そうでなくても彼は出ていかないだろう。

 

妹のように島を出ていく選択は彼にはないのだ。それは男たちが長い間かけられた呪いのようなもののせいでもあるだろう。土地や家を捨ててよそへ行くなど彼らにはありえないことなのだ。

 

島以外の世界を知っているコルムもまた、この島に暮らすうちにその呪いにかかってしまったのだろうか。

そもそも、私たちが思うほど、コルムは芸術家として進歩的でも革新的でもないのかもしれない。

 

彼もまた柔軟さを欠き、物事に固執する人間なのだ。けれどそれは彼らだけの問題ではない。多かれ少なかれ人間なら誰もが持つ特質なのだ。そうした事柄が、あらゆる諍いを引き起こす原因となるのだということを本作は物語っている。

 

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