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映画『そして僕は途方に暮れる』あらすじと感想/三浦大輔監督が藤ヶ谷太輔主演で描く逃避行の行き着く先

三浦大輔が作・演出を務め、アイドルグループ「Kis-My-Ft2」の藤ヶ谷太輔が主演し、2018年に上演された舞台を三浦自身が映画化。


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きまずい状況になるとすぐに逃げだすフリーターの男性・裕一を舞台と同じく藤ヶ谷が演じ、裕一の恋人役の前田敦子と親友役の中尾明慶も舞台版から続投、息の合った演技を見せている。

また、毎熊克哉、野村周平香里奈原田美枝子豊川悦司等、芸達者な面々が顔を揃え、がっちりと脇を固めている。

 

人間関係から逃げて、逃げて、逃げまくる。そんな逃避行の行き着く先とは!?   

 

目次

 

映画『そして僕は途方に暮れる』作品情報

2023年/日本映画/122分

監督・原作・脚本:三浦大輔 撮影:春木康輔 長瀬拓 照明:原由巳 録音:加唐学 整音:加藤大和 美術:野々垣聡 スタイリスト:小林身和子 ヘアメイク:内城千栄子 編集:堀善介 音楽:内橋和久 エンディング曲:大澤誉志幸 VFXスーパーバイザ: 村上優悦 サウンドエフェクト:小島彩 助監督:高土浩二 制作担当:土田守洋

出演:藤ヶ谷太輔前田敦子中尾明慶、毎熊克哉、野村周平香里奈原田美枝子豊川悦司

 

映画『そして僕は途方に暮れる』あらすじ

自堕落な生活を送るフリーターの菅原裕一には、長年同棲している鈴木里美という恋人がいるが、ある日、仕事から帰ってきた里美は、我慢できないから言うねと静かに話を切り出した。

合コンで知り合った女性と浮気していたことが里美にバレてしまったのだ。彼女は話し合いたいと言うが、裕一はあわててカバンに荷物を詰め込んで家を飛び出してしまう。

 

親友の今井伸二に連絡を取り、彼の部屋にやっかいになることになった裕一だったが、洗濯物も今井にまかせきり、食べたものも片づけず、明日仕事のある今井が布団にはいってもテレビを消そうともしない。

 

ついに今井の堪忍袋の緒が切れた。きちんと里美ちゃんと話し合えと叱られた裕一は荷物をカバンに詰め、再び飛び出してしまう。  

 

バイトも紹介してくれた先輩・田村修の家に転がりこんだ際は、今井の時の失敗を繰り返さないよう、先輩の分の洗濯もし、無くなりかけていたティッシュも補充した。しかしここでも話がややこしくなると、裕一は荷物をまとめて飛び出すはめに。

 

後輩に電話して泊めてもらおうと目論むもうまくいかず、携帯のアドレス帳を開くも連絡できるような友人はもういない。雨が降り出し、彼は仕方なく都心に住む姉に連絡を入れる。

 

姉宅で濡れた頭をタオルで拭いていると、姉が故郷の北海道に帰るのかと尋ねてきたので成り行き上、そうだと答えた。

 

姉は彼が金の無心をしに来たのだと思い込み万札を数枚彼の前に置いた。北海道の母にお金を送れとあんたが頼むたびに、母は私に連絡してくるのだと彼女は長年の怒りを爆発させた。

 

裕一は金が目的で来たのではないと反論し、姉に辛辣な言葉を投げつけると金をとらずにまたまた家を飛び出した。

 

長距離バスとフェリーで北海道・苫小牧の故郷に帰った裕一。そこで彼は思わぬ再会を果たす。

 

バツが悪くなるとその場を離れ、あらゆる人間関係から逃げ続ける裕一の行き着く先は!?

 

映画『そして僕は途方に暮れる』感想と評価

藤ヶ谷太輔が演じる主人公・裕一のクズっぷりが凄まじい。

浮気がバレて恋人に問い詰められた裕一はその状況に耐えられず、一瞬で荷物をまとめて家を飛び出してしまう。

親友の部屋に転がり込んだ彼は親友の親切にあぐらをかき全部親友任せで自分はテレビやスマホを観ながらゴロゴロしているだけ。親友にキレられて再び家を飛び出し、バイトの先輩の家へ。今回は先輩の洗濯ものや買い物を引き受けているが、これは学習能力があったというわけではなく、人によって態度を変えているだけなのだ。

そんなダメ人間のくせに、いっちょ前にYouTuberを罵倒したり、姉にひどいセリフを吐くなど、やたら人を批判する癖もある。

「お前が言うな」と思わず心の中で突っ込みを入れた方も多いのではないか。実際、劇中、「お前に言われたくないわ!」というセリフを吐く人物も登場している。

そして何よりもその出て行き方が、残された者になんともいえない心の傷を残すという点で余計に質が悪い。  

 

しかし、彼が根っからの悪人でないことは伝わってくるので、イライラさせられても、不思議と彼の不幸を願う気にはなれない。

このあたりは、演じる藤ヶ谷太輔の力量によるところが大きいだろう。劇中、彼のことを「愛すべきダメ人間だと思っていたら本当のクズだった」と語る人物がいるが、実際のところ裕一は、その中間点に位置する人間のように見える。この微妙な加減を表現するのはかなり難易度の高いものだったろうと想像できる。

 

なるほど、確かに裕一はクズだが、自分の過失を咎められて「話し合いましょう」などと真顔で迫られたら誰しも逃げ出したくなるものだし、がみがみ説教されたら言い返したくもなるのが人間というものだ。

どうして、のんびり怠けながら静かに暮らせないのだろうかと心の中でため息をついてしまう人だって世の中にはそこそこいるはずだ。

 

そんなわけで裕一の人間関係からの逃避行がいかなる結末を迎えるかを見届けようとする中で、彼が不幸の奈落に陥るのではなく、少しは成長するのを私たちは期待してしまう。

しかし、物語は単純な成長物語などには向かってくれない。

 

北海道・苫小牧に舞台が移ると、裕一の父親が登場する。演じているのは豊川悦司だ。

 

『子供はわかってくれない』(2021/沖田修一)でも離婚してひっそり一人暮らしをしている父親役が板についていたが、本作では離婚して一人暮らしという点までは同じだが、裕一の上をいく根っからのクズっぷりを発揮しているダメ親父として登場する。

 

借金をしている人から逃げ回りながら、パチンコでその日暮らしをしている父親は、久しぶりに再会した息子に対して「どんなことがあってもすべてのことは収まるところに収まる」というなんともいい加減な教訓をたれる。

言っているのがトヨエツなので、なんとなく説得力があり、とにかく格好いいわけだが、映画の行く末も、結局なるようになる、なし崩し的な方向へ向かうように見える。家族団欒なんてしているわけだし。

しかし、その予測もふわりとかわされてしまう。

 

それは物語の意外性を追求したものというよりは、「なし崩し」で映画を終わらせないという意思のようなものだ。

 

なにしろ、世の中、「なし崩し的」なものが多すぎる。それは個人的なことでもそうだし、社会や政治の世界でもそうだ。何もかもに白黒をつけるわけにはいかないのが現状だとしても、である。

本作はその点において強い意志を示しているのだ。  

 

さて、裕一は、恋人の家から逃げ出した際にも、その前の白いワンピースの浮気相手と並んで歩いている際にも、後ろを振り返っている。そして映画の最後にも彼は振り返ってみせる。彼は何を見ているのか? 彼の視点の先にあるのはなんだったのだろうか? 

 

もしかしてそれは映画を観ている私たちに向けられたものだったのではないだろうか?

 

序盤の振り向きが、迷ったような、何か助けを求めるような眼差しだったのに対し、最後、彼は笑みを浮かべている。

 

それはお恥ずかしいところを見せましたという照れ笑いだろうか? 彼の明るい前途なんてとても想像できないし、彼が成長したかというと甚だ心もとないのだが、一つ言えることがある。

 

それは彼が、この一か月の逃走の果てにかつて自分は映画が好きだったことを思い出した、ということだ。

 

裕一は映画研究会出身で、彼が連絡を取ったのも、皆その時の同期、先輩、後輩である。アドレス帳に名前はずらっと並んでいても、彼ら以外には連絡すら取れなかった。

 

親友は何かと映画に例えて話す傾向があるようだし、先輩の部屋にはウォン・カーウァイの『ブエノスアイレス』のポスターが貼られ、DVDがぎっしり並べられている。後輩は実際に映画の現場で働いている。父は裕一とともに名画座フランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生』を観る。映画という媒体がなければ彼らとも繋がっていなかったかもしれない。

 

映画が好きだったことを思い出したからってそれがどうなるという話ではあるが、少なくとも、彼は笑顔を取り戻すことが出来たのだ。

ラスト、東京の街を歩く彼は、その光景がいつもと違うように見えたのではないか。ちょうど映画を観終えて映画館を出た時にそんな時間が訪れる時があるように。

 

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