歌手IUが絶賛したことでも知られるイム・ソルアのベストセラー小説を原作に、最善を尽くそうとして最悪を選んでしまう18歳の少女たちの複雑で鋭敏な感性を繊細に描いた作品。
監督のイ・ウジョンは漢陽大演劇映画科出身。『アドバルーン』(2011)などの短編作品を経て本作で長編劇映画デビューを果たした。
ガールズグループ「Girl's Day」出身でドラマ『野獣の美女コンシム』(2016)などのパン・ミナが主演の少女ガンイに扮し、その友人役をNetflixドラマ『未成年裁判』(2022)、『私たちのブルース』(2022)などのシム・ダルギとモデル出身で「TWENTY×TWENTY~ハタチの恋~」(2020)などのハン・ソンミンが演じている。
本作は第25回釜山国際映画祭で「KTH賞」、「CGK&サムヤンXEEN賞」の2冠に輝き、ソウル独立映画祭では「新しい選択賞」を受賞。主演のパン・ミナは、第20回ニューヨークアジア映画祭で「国際ライジングスター賞」、第22回釜山映画評論家協会賞で「新人賞」を受賞するなど国内外でその熱演が絶賛された。
インディーズ作品ながら2020年代の韓国映画を語る際に欠かせない重要作品である。日本では配信サイト「JAIHO」で配信中(2023年1月23日で終了)。
目次
映画『最善の人生』作品情報
2020年/韓国映画/109分/原題:최선의 삶(英題SNOWBALL)/監督・脚本:イ・ウジョン 原作:イム・ソルア 編集:ハン・ヨンギュ 撮影:イ・ジェウ 音楽:イ・ミンフィ
出演:パン・ミナ、シム・ダルギ、ハン・ソンミン
映画『最善の人生』あらすじ
2000年代の大田(テジョン)。女子高に通う18歳のガンイは親友のソヨンとアラムといつも一緒に行動していた。
ソヨンは成績も良く美貌なので教師の受けも良く、彼女が絡むと先生から受ける罰も軽減された。アラムはいつも何かを拾ってくるへんな癖があった。
ガンイはソヨンとアラムが住んでいる町の中心地の集合住宅からまだかなり離れた高台にある小さな家に両親と愛犬と共に暮らしていた。
ガンイは理由もわからないまま、ここを出ていかなくてはというあせりにも似た気持ちを抱いていた。そんな矢先、ソヨンから「一緒に家出してくれない?」というメールが届く。
ガンイ、ソヨン、アラムの3人は着替えを鞄に詰め込みソウル行きの電車に乗る。しばらくはサウナで夜を明かしていたが、ついに金が尽き、路上生活をする羽目になる。
そんな3人にある男が声をかけてくる。簡単で楽な仕事を世話するという男。その日は男の家に泊めてもらうが、男がガンイの体に触れてきたので、3人は家を飛び出す。その際、アラムは男のバッグを「拾って」逃げた。
ソヨンはモデルになる夢を抱いていた。しかし当然合格すると思っていたファッション雑誌の読書モデルのオーディションに落ちてしまう。
3人は男の鞄に入っていた現金でソウル生活をなんとか続けていたがそれもついに底をついてしまう。
しかしまだカードが使えることがわかり、3人は半地下の家を借り、共同生活を始める。彼氏が出来たというアラムは男の紹介で水商売をはじめ、いつも酔って帰宅した。トイレで吐く彼女の背中をガンイは心配そうにさすってやるのだった。
ある夜、扇風機もない暑苦しい部屋で服を脱ぎ捨てたソヨンは同じく暑さで目を覚ましたガンイにも服を脱げば?と声を掛ける。
言われた通り、上半身裸になったガンイの体にソヨンが触れてきた。2人はさらに接近して、唇を近づけた。
それから間もなく、ふさいで寝てばかりだったソヨンが家に帰ると言い出した。アラムは暴力的な父親のいる家に帰るのを嫌がったが、結局3人は大田に戻り、再び高校へ通い始める。しかし、3人の関係は以前とは違うものに変容していた。
ソヨンが、ガンイを無視し、よそよそしい態度を取り始めたのだ。なぜそんな態度を取られるのか理解できないガンイはもとの関係に戻りたいと願うが、ソヨンのガンイに対する態度は次第に暴力的になっていく・・・。
映画『最善の人生』感想と評価
親友だと思っていた友人の態度が夏に共に過ごした時間を経て急変し、敵のような存在へと至るという筋立ては岩井俊二の『リリィシュシュのすべて』を思い出させる。
また、『狩りの時間』(2020)のユン・ソンヒョン監督が韓国の国立映画学校(KAFA)在学中に製作した『BLEAK NIGHT 番人』(2010)で描かれた世界との共通点も感じられる。
勿論、本作がそれらの映画の模倣であると言っているわけではない。これらの作品の主人公である高校生に起こったことは、衝撃的ではあるが、10代の頃には誰にだって程度の差はあれ起こりうるものではないだろうか。上記2作品が男子生徒同士の友情を描いていたのに対して本作は女子生徒同士の友情の変遷を描いている。
これら三作品に共通するのは、子ども社会の圧倒的な不条理さだ。常識や理屈では通じない独特の感情がそこには存在する。
彼ら、彼女たちの心情をフィルムに刻まれた光景の中から見出し、想像し、分析することは可能だろう。
『最善の人生』においてソヨンとガンイは親友だが、ガンイはソヨンに仄かな憧れを抱いているという点で対等の関係とはいえない。ソヨンはしばしばアラムから「本当にわがままなんだから」という言葉をかけられるが、三人の中でソヨンはそういう立場にあるのでその言葉は彼女を傷つけない。しかし自分の弱さを知られてしまったことは彼女にとって耐え難いものだったのかもしれない。
このように、ソヨンの心情を我々はある程度推測することが出来るが、それはあくまでも「答え」が知りたい大人の想像にすぎない。おそらくソヨン自身、自分の中に生まれた感情を言語化することは出来ないだろう。
自分自身でも説明ができない感情といえば、ガンイが執拗に家を出たがることにもあてはまる。アラムの場合は、暴力を振るう父親から逃げるという目的があった。ソヨンの場合は、劇中では示されていないが、演じるハン・ソンミンは「ソヨンはモデルになりたいのだが、親からは有名大学進学を望まれている」と説明されていたと聞く。
しかしガンイの場合は、これといった理由がない。母親は信仰に入れ込みすぎているようだがガンイをきちんと愛していて、困ったときには彼女のために行動してくれる。父親も暴力を振るうことはない。冴えないが優しい父母なのだ。
ガンイ自身、自分の行動について明快な理由を述べることはできないだろう。それでも「ここにいてはいけない」という“漠然とした確信”が彼女を駆り立てる。
「ここではないどこかへ」と突き動かされるのはとりわけこの世代に起こる普遍的な感情ともいえるのだが、『最善の人生』はこうした言葉では説明できない微妙で切実な感情の数々を淡々とかつ鋭利に綴っていく。その描写が素晴らしい。
思いが通ずる歓喜の瞬間が、思いもよらない関係へと変容する。あの頃に戻りたいという切実な思いともう戻れないという絶望を背負う少女をパン・ミナが抑揚を抑えた演技で見せている。
それは映画全体の構成にもあてはまり、ガンイとソヨンの間に起こった夏の夜の出来事や、2人の間に起こる暴力的な出来事はことの成行きを繊細に描くのではなく大胆に省略される
全てを見せず、余白を作ることで、ガンイが受けた身体の、そして心の痛みがより一層、観る者にとって身近なものに感じられるのである。
また、ペットの子犬や野良猫といった動物の存在が少女の心理を照らす手段として巧みに使われている。
猫は、なんでも拾ってくる癖のあるアラムによって拾われる。猫と少女たちと言えばチョン・ジェウン監督の『子猫をお願い』(2001)を思い出さずにはいられないが、『子猫をお願い』における猫は、不安定に揺れ動く少女たち自身の姿を反映する存在だった。その小さな命は、リレーのようにころころと飼い主が変わりながらも守られ続ける。
しかし、『最善の人生』では猫の命は最早空前の灯火である。ここでもやはり猫は、少女たち自身の姿を反映する鏡のような存在と見ることが出来るだろう。
「最善の人生を選ぼうとして最悪の道を選んでしまう」――最後に流れるガンイの独白の一節だ。本作はそんな複雑で不可解な人間そのものを映し出している。