『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』(2019)で監督として高く評価された俳優オリビア・ワイルドの長編監督第2作目『ドント・ウォーリー・ダーリン』は、前作とは打って変わったユートピア・サイコ・スリラーだ。
愛する夫と共に、物質的にも精神的にも豊かで幸福な生活を営む女性・アリス。だが、たびたび同じ光景が頭をよぎり、ちょっとした違和感を覚えることがあった。隣人に異変が起こった時、彼女は何かがおかしいと確信する。
主人公アリスには『ミッドサマー』(2019)で一躍脚光を浴びたフローレンス・ピューが扮し、夫役をクリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』(2017)で俳優としても注目を集めたイギリスの人気歌手ハリー・スタイルズが演じている。
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映画『ドント・ウォーリー・ダーリン』の作品情報
2022年製作/123分/PG12/アメリカ映画 原題:Don't Worry Darling 監督:オリビア・ワイルド 脚本:ケイティ・シルバーマン 撮影:マシュー・リバティーク 美術:ケイティ・バイロン 衣装:マリアンヌ・フィリップス 編集:アフォンソ・ゴンサウベス 音楽:ジョン・パウエル 音楽監修:ランドール・ポス
出演:フローレンス・ピュー、ハリー・スタイルズ、オリビア・ワイルド、ジェンマ・チャン、キキ・レイン、ニック・クロール、クリス・パイン
映画『ドント・ウォーリー・ダーリン』あらすじ
完璧な生活が保証された街・ビクトリーで、アリスは愛する夫ジャックと幸せな日々を送っていた。夫とはずっと新婚の日々が続いているような仲睦まじさで、生活に何の不満もないアリスだったが、ただ、時々、不思議な映像が頭を過ることがあった。
ある日、新しい住人がやってきたという報せが入る。歓迎会が開かれ、町の住民たちが一同に集まるが、隣人のひとり、マーガレットの様子がおかしい。彼女は精神を病んでいるのだろうか。
気晴らしに出かけたアリスは飛行機が落ちるのを目撃し、あわてて一人で現場に向かうが、そこで不思議な体験をし、悲鳴を上げる。
目覚めるとベッドの上だった。夢とは思えないような生々しい体験にアリスは不安と不信感を覚える。
アリスにさらに追い打ちをかけたのは、隣人のマーガレットが自殺を図り、赤い服の男たちに連れ去られるのを目撃したことだった。彼女が元気になって幸せに暮らしているという医師の報告をアリスは信じることができない。
この街は何かがおかしいとアリスは確信するが・・・。
映画『ドント・ウォーリー・ダーリン』感想と評価
※ネタバレなきよう注意していますが、気になる方は、念のため、作品をご覧になってからご高覧ください。
〈1950年代の郊外の暮らしのような“理想郷”に住む人々〉
アリスたちが暮らすビクトリーという町は、1950年代、不動産開発者で建築家のウィリアム・"ビル"・レヴィットによってアメリカ郊外に開発されたレヴィットタウンを彷彿させる。
レヴィットタウンでは形も色もまったく同じ家が等間隔に並び、同じくらいの年齢、階級の住人が顔を揃え、同じような生活を送っていた。
戦後、住宅難にあえぐ若者たちにマイホームを持つ夢を叶えさせた夢の住宅と言われる一方、その住居もライフスタイルも画一的で、住民は無味乾燥な暮らしを強いられているという批判も受けた。
男性は時間をかけて、郊外から都心へ仕事に行き、その間、女性は家事に従事し、近所付き合いという使命を担っていた。
これらはまさにビクトリーで観られる光景そのものだ。男たちは車に乗って仕事に出かけ、女たちは家を磨き、夫の帰りを待って料理をこしらえる。だが、この物語の舞台は1950年代なのだろうか?
ジョージ・クルーニーが監督し、マット・デイモンが主演した映画『サバービコン 仮面を被った街』(2017)は、1950年代を舞台に、レヴィットタウンをモデルにした郊外の分譲住宅地に住む人々の暗黒面を描いた作品だったが、『ドント・ウォーリー・ダーリン』は現代の話である。
なぜ、彼らはこんな時代錯誤な暮らしをしているのだろうか。男たちは同じ時間に家を出て、車を連ねて同じ会社へと向かう。女性たちは家の中に閉じ込もり、たまにダンス教室に通うため乗り物で移動するが教室の顔ぶれはいつも同じだ。
彼らは会社のオーナーに忠誠を誓い、満足のいく生活を続けるためにも街の外に出てはいけないという教えを忠実に守って生活している。
しかし、街の外に出てはいけない生活が成り立つのだろうか、年老いた親たちの存在はどうなっているのか。自身の故郷や、思い出の地を想うことはないのだろうか。
傍から観ていると、明らかにおかしな暮らしなのだが、本人たちは一向にそう思っていないようで、いたって平穏な日々が続いている。手に入れた理想郷を手放さないためにも思考停止でいようというわけだろうか。
そんな中、フローレンス・ピュー演じるところの主人公アリスの脳裏に幻覚のような不思議な映像がたびたび浮かぶようになる。
アリスが、何かが可笑しいと疑問を持ち始める過程が丹念に描かれ緊張を高めていく展開にオリビア・ワイルドの並々ならぬ力量を感じた。
〈円環のイメージと俯瞰ショット〉
冒頭、近隣の仲の良い家族たちとのパーティーを終え、アリスと夫は車の運転に興じている。アリスは車で円を描いて、ぐるぐる回り続ける。砂漠の上なので、激しい砂埃が舞い上がっている。
この円のイメージは、パーティーの席で、人々が会話する際、カメラがその光景をぐるぐると回って捉えるシーンにも現れている。
そもそもこのビクトリーという街自体、砂漠の中、小さな円の形に作られた街なのだ。
そして、何よりも、アリスの脳裏に突然浮かび上がる、モノクロの映像も円そのもので、バズビー・バークレーのミュージカルを思い出させる(というよりもそのままである)。軍隊のマスゲームを応用したという万華鏡のような華麗で鮮やかな振り付けが、悪魔的な映像へと変化し、アリスを驚かせる。
こうした円環のイメージもさることながら、俯瞰ショットが多用されているのにも注目したい。例えば、食卓のテーブルの上での夫婦のセックスは、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を思い出させるが、絶頂を感じるアリスの姿を俯瞰で撮っている。
俯瞰ショットというと、しばしば「神の視点」を指摘されるが、同時に、私たち観客もその誰かの視点を共有するという意味合いを持つ。その面白さもこの映画の練りに練られた部分と言えるだろう。こうしたイメージの積み重ねが雄弁に作品を統御していて見事である。
〈女性の生き方への言及〉
オリビア・ワイルド監督の前作『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』は、現代的な学園映画としてとてもよく出来ていたが、何よりも、主人公の女生徒二人の個性と友情が秀逸だった。
ビーニー・フェルドスタインが演じたモリーは史上最年少の最高裁判事を目指していてRBGことルース・ベーダー・キンズバーグを敬愛している。また、ケイトリン・デヴァー演じるエイミーはフェミニストの文学少女で、彼女は数年前にレズビアンであることをカミングアウトしているという設定。
さらに彼女たちの合言葉「マララ」は、パキスタンの人権運動家で2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイから来ている。
このような、女性の権利や、女性の持つ夢などのフェミニスト的観点は、『ドント・ウォーリー・ダーリン』にも如実に現れている。
理想的でも嘘の社会と、辛くても真実の社会という二択が提言される中で、女性の真実の生き方が問われるのだ。
フローレンス・ピューの固い意志を感じさせる精悍な顔つきが素晴らしい。この街に忠実に住む限り決して経験することのなかった身体の躍動が、ハラハラさせるスリルの中で、生命が漲るがごとき輝きを獲得している。
ラスト、タイトルがスクリーンにでーんと掲げられる時、この言葉の持つ意味の皮肉さに愕然とするだろう。