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映画『ワイルド・アパッチ』あらすじ・感想 / ロバート・アルドリッチ監督が突き詰めたものとは!?

カルト的な人気を誇るフィルム・ノワール『キッスで殺せ』(1955)、貨物列車にただ乗りしようとするホーボーと冷酷非情な車掌との対決を描いた『北国の帝王』(1973)などで知られるロバート・アルドリッチが1972年に撮った西部劇。

 

西部開拓時代の末期のアリゾナで実際に起きた“アパッチ族最後の反逆“ウルザナの襲撃を題材に、アパッチ族と白人の騎兵隊の激しい闘いが描かれる。アパッチ討伐隊のベテラン斥候長を名優バート・ランカスターが演じている。

 

かつての西部劇とは一線を画した本作の魅力を徹底分析 !

 

目次

 

『ワイルド・アパッチ』作品情報

原題:ULZANA'S RAID 1972年 製作:カーター・デ・ヘブン 監督:R・アルドリッチ 脚本:アラン・ シャープ 撮影:ジョゼフ・バイロック 音楽:フランク・デ・ボル 出演:バート・ランカスター、 ブルース・デービソン、ジョージ・ルーク 、リチャード・ジャッケル

 

『ワイルド・アパッチ』のあらすじ

(C)1972Universal City Studios,Inc.Copyright Renewed.All Rights Reseved

アリゾナの騎兵隊員のもとに、アパッチ居留地から10人ほどのインディアンが脱走したという報告が届けられる。

 

脱走したアパッチ族のリーダー、ウルザナは自分たちの土地に住み着いた白人を皆殺しにすると述べていたという。

 

開拓民たちが残酷な手口で次々と殺されていき、騎兵隊のデビュイン中尉は徐々に心を削られていく。

 

ウルザナは騎兵隊に罠を仕掛け、馬の補給をしようと企むが、騎兵隊はわざとウルザナの思惑通りに二手に分かれ、アパッチ族を壊滅させようとする。しかし、騎兵隊の方に思わぬトラブルが起き・・・。

 

『ワイルト・アパッチ』の感想・レビュー

(C)1972Universal City Studios,Inc.Copyright Renewed.All Rights Reseved

冒頭、暗がりの中、カメラが馬の体をなめるように映して行く。先頭の馬を叩く男の顔。小屋から人が出てきて玄関口にいるのを馬の影に身を隠しながら観ているインディアンの男の顔のアップ。人が家にはいると複数のインディアンが馬を引いていく姿が映し出される。アパッチ族のウルザナが仲間と共に保留地から脱走するシーンだ。

 

場面変わって、俯瞰で広場(?)を撮り、左手にカメラが動いていくと建物が見えてくる。1つの建物の正面を映しながらタイトルクレジット。継いで兵隊たちが野球をしている場面へと変わる。

審判は遠方から誰かがこちらにやって来る姿を認めている。野球は続けられているのだけれど、遠方の動きが気になってちゃんとボールの行方を観ていない。「なぜこれがボールなんだ!?」というキャッチャーの抗議を受けていると、全速力で馬を走らせた男が「インディアンが居留地から逃げた」と叫んでいる。このあたりの演出はなかなか細かい。それだけ描く世界が「広い」ということでもある。

それは後半のインディアンとの闘いにおいての壮大なスケールにも通じる。高い山の頂上にいるインディアンからカメラが下りてきて身をひそめる姿をワンカットで捉えたり、山に隠れるインディアンとその間の道を行く一行との見上げる、見下ろすカットといい、眩暈を誘うような距離感が濃厚に描かれている。

 

とはいえ、導入部は若干退屈な部分もあるのは否めない。しかし、アパッチ族が白人の女性と子どもの乗った馬車を追ってきたときに、退屈なんて言っていられなくなる。母親の「兵隊さん!待って!」という必死の呼びかけに振り向いた騎兵隊が戻ってきたのでほっとしていると、騎兵隊員がいきなり彼女を射殺して愕然とさせられる。彼は子どもだけを馬の後ろに乗せて脱出を図るも撃たれて馬ごとひっくりかえり、零れ落ちた銃をつかんだかと思うと、自身の口にあてて引き金を引いて自殺するのだ。

さらにそのあと、この婦人の夫が小屋の前で作業をしているとそれを見下ろしているインディアンは弓をひいている。男が不信に思い、見ると愛犬の体に三本も矢が刺さっている。犬が酷い目にあうといえば、『ムーンライズ・キングダム』などもそうだが、これは本当につらいシーンであり、そのあともまた惨い。

家に閉じこもってアパッチと対決しようとライフルをかまえる男だが、アパッチはあちこちに火をつけて、家を破ろうとする。ついにドアがあいて、男が身構えるが、そこには誰もやってこない。すると騎兵隊のラッパの音がする。男は助かったとばかり小踊りする。その後、やってきたバート・ランカスターらがひきいる騎兵隊に、アパッチにリンチされて殺された男の無残な姿が発見される。

 

アパッチの残虐さが際立っているが、しかし、この物語を複雑にしているのは、騎兵隊の案内人としてついてきている一人のアパッチである。彼はアパッチ族の風習について語る。それは白人にとってはまさに異文化の風習=価値観で到底理解のできないものなのだが、アパッチ族の残酷さの中に民族独特の思想がはいっていることが語られる。

 

この映画を観終わったとき、黒澤の『七人の侍』を見終わった時のように、「これは娯楽映画ではない、戦争映画だ」、と思ったのだけれど、異文化との闘いとは、アメリカの戦争の歴史ではないか。この騎兵隊の案内人のアパッチは、「私は騎兵隊と契約した人間」と言いきり、かつての仲間を最後にしとめる。

本作の主役はインディアンとの闘い方に長じているベテラン騎兵隊バート・ランカスターなのだが、もう一人、主人公がいて、志が高い若き中尉(ブルース・ディヴィスン)がその人である。

あえて前線を希望し、指揮官を任命された夢溢れる若きエリートはインディアンの無法の様子に精神の均衡を奪われていく。そんな彼を導いていくのがバート・ランカスターであり、年長者が若い世代を育てるという教育的な要素は「北国の帝王」のリー・マービンとキース・キャラダインの関係を思い起こさせる。

後者が教育に失敗し、年上の男が叫び声をあげて最後の“教育の言葉”を投げつけるのとは違い、本作ではその教育は実る。

砂漠の中で死の近い自身をおきざりにしていってくれといい取り残されるバート・ランカスターは、リー・マービンとは違い、静かに煙草を取り出して舐める、それがストップモーションとなり映画は終わるのである。

 

アパッチ族の残虐さが生々しく描かれているが、ひと昔前の西部劇のように先住民をただの残酷な敵として描いた作品ではない。異文化に如何に接し、異文化を如何に理解すれば良いのかという命題が本作の主題なのだ。

 

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